雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

虚舟の蛮女

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十一集 第11話 / 琴嶺舎 滝沢興継

常陸の浜に流れ着いた丸い舟と、箱を抱えて言葉の通じない異国の女。

本文 現代語訳

うつろ舟の蛮女
うつろ舟の蛮女
享和三年癸亥の春、二月二十二日の午の時ばかりに、当時寄合席小笠原越中守〔高四千石〕知行所、常陸国はらやどりといふ浜にて、沖のかたに舟の如きもの遥かに見えしかば、浦人ら小船あまた漕ぎ出だしつつ、遂に浜辺に引きつけてよく見るに、その舟のかたち、譬へば香盒のごとくにしてまろく、長さ三間あまり。上は硝子障子にして、チャンをもて塗りつめ、底は鉄の板がねを段々筋のごとくに張りたり。海巌にあたるとも打ち砕かれざるためなるべし。上より内の透き徹りて隠れなきを、みな立ちよりて見てけるに、そのかたち異様なるひとりの婦人ぞゐたりける。
享和三年癸亥の春、二月二十二日の昼ごろのことである。当時寄合席であった小笠原越中守の知行所、常陸国の「はらやどり」という浜で、沖のほうに舟のようなものが遠くに見えた。浦の人々は小舟を何艘も漕ぎ出し、とうとう浜辺まで引き寄せてよく見ると、その舟の形は香合にたとえられるほど丸く、長さは三間あまりあった。上部はガラスの障子で松脂を塗り固めてあり、底には鉄の板金を段々に、筋のように張ってあった。岩に当たっても砕けないためであろう。上から中が透けて見えて隠れるところがないので、皆が近寄って見ると、姿の異様な女がひとり、そこにいた。
その図、左の如し。
その図は左のとおりである。
〔図一 硝子障子 外はチヤンにて塗りたり/鉄をもて張りたり/長さ三間余/此蛮字舟の中に多くありしとぞ/仮髻 白し 何とも弁へがたきもの/此箱二尺許四方/ねり玉 青し〕
〔図一 ガラスの障子で外は松脂で塗ってある/鉄で張ってある/長さ三間余り/この蛮字は舟の中に多くあったという/付け髪は白い、何とも判別しがたいもの/この箱は二尺四方ほど/練り玉は青い〕
そが眉と髪の毛の赤かるに、その顔も桃色にて、頭髪は仮髪なるが、白く長くして背に垂れたり。〔頭書。解按ずるに、『二魯西亜聞見録』人物の条下に云ふ、女の衣服は筒袖にて腰より上を細く仕立て云々、また髪の毛は白き粉をぬりかけ結び申し候云々。これによりて見るときは、この蛮女の頭髪の白きも白き粉を塗りたるならん。魯西亜属国の婦人にやありけんか。なほ考ふべし。〕そは獣の毛か、より糸か、これを知るものあることなし。互ひに言語の通ぜねば、いづこのものぞと問ふよしもあらず。この蛮女、二尺四方の筥をもてり。特に愛するものとおぼしく、しばらくもはなさずして、人をしも近づけず。その船中にあるものを、これかれと検せしに、
眉と髪の毛は赤く、顔も桃色で、髪は付け髪らしく、白く長く背中に垂れていた。〔頭書。馬琴が考えるに、『二魯西亜聞見録』の人物の条に、女の衣服は筒袖で腰から上を細く仕立てる、髪の毛には白い粉を塗りかけて結ぶ、とある。これから見ると、この蛮女の髪が白いのも白い粉を塗ったものだろう。ロシアの属国の婦人ではないか。なお考えるべきである。〕それが獣の毛なのか撚り糸なのか、知る者はいなかった。互いに言葉が通じないので、どこの者かと問うすべもない。この蛮女は二尺四方の箱を持っていた。特に大切にしているらしく、片時も離さず、人を近づけなかった。船の中にある物をあれこれ調べると、
水二升ばかり小瓶に入れてあり。〔一本に、二升を二斗に作り、小瓶を小船に作れり。いまだ孰れか是を知らず。〕敷物二枚あり。菓子やうのものあり。また肉を煉りたる如き食物あり。
水が二升ほど小瓶に入れてあった。〔ある本では二升を二斗、小瓶を小船と書く。どちらが正しいかまだ分からない。〕敷物が二枚あった。菓子のようなものがあった。また肉を練ったような食べ物があった。
浦人らうちつどひて評議するを、のどかに見つつ笑めるのみ。故老の云ふ、これは蛮国の王の女の他へ嫁したるが、密夫ありてその事あらはれ、その密夫は刑せられしを、さすがに王のむすめなれば、殺すに忍びずして、虚舟に乗せて流しつつ、生死を天に任せしものか。しからばその箱の中なるは、密夫の首にやあらんずらん。むかしもかかる蛮女のうつろ船に乗せられたるが、近き浜辺に漂着せしことありけり。その船中には、俎板のごときものに載せたる人の首の、なまなましきがありけるよし、口碑に伝ふるを合はせ考ふれば、件の箱の中なるも、さる類のものなるべし。されば蛮女がいとをしみて、身をはなさざるなめり、といひしとぞ。この事、官府へ聞こえあげ奉りては、雑費も大かたならぬに、かかるものをば突き流したる先例もあればとて、また元のごとく船に乗せて、沖へ引き出だしつつ推し流したりとなん。もし仁人の心もてせば、かくまでにはあるまじきを、そはその蛮女の不幸なるべし。
浦の人々が集まって相談するのを、女はのどかに眺めて微笑んでいるばかりだった。古老が言うには、これは蛮国の王の娘が他家へ嫁いだものの、密通する男がいてその事が露見し、男は処刑されたけれども、さすがに王の娘なので殺すには忍びず、うつろ舟に乗せて流し、生死を天に任せたのではないか。そうであれば、あの箱の中身は密夫の首だろうか。昔にもこのような蛮女がうつろ舟に乗せられて、近くの浜辺に漂着したことがあった。その船の中には、俎板のような物に載せた人の首の生々しいものがあったと言い伝えている。それを考え合わせると、あの箱の中身もそういう類のものに違いない。だから蛮女がいとおしんで身から離さないのだろう、と言ったという。この事を役所へ届け出ると雑費も並大抵ではなく、このような者を沖へ突き流した先例もあるというので、また元のように舟に乗せ、沖へ引き出して押し流したそうである。もし思いやりのある人の心で当たっていれば、そこまでのことはしなかっただろうに。それはその蛮女の不幸というべきである。
またその舟の中に、□□□□等の蛮字の多くありしといふによりて、後におもふに、ちかきころ浦賀の沖に歇りたるイギリス船にも、これらの蛮字ありけり。かかれば件の蛮女はイギリスか、もしくはベンガラ、もしくはアメリカなどの蛮王の女なりけんか。これもまた知るべからず。当時好事のものの写し伝へたるは、右の如し。図説ともに疎鹵にして具ならぬを憾みとす。よく知れるものあらば、たづねまほしき事なりかし。
またその舟の中には□□□□などの蛮字が多くあったというので、後になって思い当たった。近ごろ浦賀の沖に停泊したイギリス船にも、これらの蛮字があった。そうすると、あの蛮女はイギリスか、あるいはベンガル、あるいはアメリカなどの蛮王の娘だったのだろうか。これもまた分からない。当時の好事家が写し伝えたものは右のとおりである。図も説明も粗略で詳しくないのが残念だ。よく知っている者があれば、尋ねてみたいものである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

うつろ舟の蠻女

享和三年癸亥の春二月廿二日の午の時ばかりに、當時寄合席小笠原越中守〔高四千石、〕知行所常陸國はらやどりといふ濱にて、沖のかたに舟の如きもの遙に見えしかば、浦人等小船あまた漕ぎ出だしつゝ、遂に濱邊に引きつけてよく見るに、その舟のかたち、譬へば香盒のごとくにしてまろく長さ三間あまり、上は硝子障子にして、チヤンをもて塗りつめ、底は鐵の板がねを段々筋のごとくに張りたり。海嚴にあたるとも打ち碎かれざる爲なるべし。上より内の透き徹りて隱れなきを、みな立ちよりて見てけるに、そのかたち異樣なるひとりの婦人ぞゐたりける。

その圖左の如し

〔図一 硝子障子 外はチヤンにて塗りたり/鐵をもて張りたり/長さ三間餘/此蠻字舟の中に多くありしとぞ/假髻 白し 何とも辨へがたきもの/此箱二尺許四方/ねり玉 青し〕

そが眉と髮の毛の赤かるに、その顔も桃色にて、頭髮は假髮なるが、白く長くして背に垂れたり。〔頭書、解按ずるに、二魯西亞聞見錄人物の條下に云、女の衣服が筒袖にて腰より上を、細く仕立云々また髮の毛は、白き粉をぬりかけ結び申候云々、これによりて見るときは、この蠻女の頭髮の白きも白き粉を塗りたるならん。魯西亞屬國の婦人にやありけんか。なほ考ふべし。〕そは獸の毛か。より絲か。これをしるものあることなし。迭に言語の通ぜねば、いづこのものぞと問ふよしもあらず。この蠻女二尺四方の筥をもてり。特に愛するものとおぼしく、しばらくもはなさずして。人をしもちかづけず。その船中にあるものを、これかれと檢せしに、

水二升許小瓶に入れてあり。〔一本に、二升を二斗に作り、小瓶を小船に作れり。いまだ孰か是を知らず。〕敷物二枚あり。菓子やうのものあり。又肉を煉りたる如き食物あり。

浦人等うちつどひて評議するを、のどかに見つゝゑめるのみ。故老の云、是は蠻國の王の女の他へ嫁したるが、密夫ありてその事あらはれ、その密夫は刑せられしを、さすがに王のむすめなれば、殺すに忍びずして、虚舟に乘せて流しつゝ、生死を天に任せしものか。しからば其箱の中なるは、密夫の首にやあらんずらん。むかしもかゝる蠻女のうつろ船に乘せられたるが、近き濱邊に漂着せしことありけり。その船中には、俎板のごときものに載せたる人の首の、なまなましきがありけるよし、口碑に傳ふるを合せ考ふれば。件の箱の中なるも、さる類のものなるべし。されば蠻女がいとをしみて、身をはなさゞるなめりといひしとぞ。この事、官府へ聞えあげ奉りては、雜費も大かたならぬに、かゝるものをば突き流したる先例もあればとて、又もとのごとく船に乘せて、沖へ引き出だしつゝ推し流したりとなん。もし仁人の心もてせば、かくまでにはあるまじきを、そはその蠻女の不幸なるべし。

又その舟の中に、□□□□等の蠻字の多くありしといふによりて、後におもふに、ちかきころ浦賀の沖に歇りたるイギリス船にも、これらの蠻字ありけり。かゝれば件の蠻女はイギリスか。もしくはベンガラ、もしくはアメリカなどの蠻王の女なりけんか。これも亦知るべからず。當時好事のものゝ寫し傳へたるは、右の如し。圖説共に疎鹵にして具ならぬを憾とす。よくしれるものあらば、たづねまほしき事なりかし。

注

写本の位置
写本は3166の34カット目左ページから37カット目右ページまで。34カット目左ページに題「うつろ舟の蠻女」があり、35カット目は舟と婦人の彩色図。目録の題は「虚舟の蛮女」で、披講者は琴嶺舎。署名はない。
注記
本文は雲亭掲載用_うつろ舟_20260911.json の toen-utsurobune-1 から 3 を1つの passage にまとめ、id を toen-11-11 に付け替えたもの。段落の区切りと注はそのまま引き継ぎ、35カット目の図の書き込みを〔図一〕として本文中に置いた。
校合
校合は日本随筆大成第二期第1巻系の私家版テキスト2種(sybrma.sakura.ne.jp と yab.o.oo7.jp)で行い、Blog鬼火の記事は sourceRef として添えるだけで字句の照合には使っていない。
注記
第1節の注。写本34カット目左ページ。題は「うつろ舟の蠻女」と仮名書き。活字本の目次は「虚舟の蛮女」。
注記
第1節の注。香盒に「ハコ」、チヤンに「松脂」の振り仮名を写本で確認。段々の振り仮名は写本では判読できず、活字本の「ダンダン」を保留にする。
注記
第1節の注。「その圖左の如し」は35カット目の舟図の右上に書かれ、本文の末尾ではなく図の中にある。
注記
第1節の注。35カット目の図中書き込み。舟図に「硝子障子 外はチヤンにて塗りたり」「鐵をもて張りたり」「長さ三間餘」、蛮字4文字と「此蠻字舟の中に多くありしとぞ」。婦人図に「假髻 白し 何とも辨へがたきもの」「此箱二尺許四方」「ねり玉 青し」。書き込みの判読はAIによるもので要校閲。
注記
第2節の注。写本36カット目右ページ。頭書は本文の上欄に小字で書かれ、「解 按スルニ」で始まる。
校合
第2節の注。写本は「聞見録」と読める。活字本と私家版2種の「一見録」は写本と合わない。冒頭の「二」が「按スルニ」の「ニ」に続く字なのか書名の一部なのかは、写本でも判然としない。
校合
第2節の注。写本は「頭髪」と読める。私家版の一方が「頭髺」とするのは活字本か転記の誤りとみられる。
校合
第2節の注。写本は「煉りたる」と火偏で書く。私家版の一方の「練りたる」は採らない。
注記
第2節の注。「一本に、二升を二斗に作り」の割注は、写本でも本文中に小字2行で入っている。
校合
第3節の注。写本36カット目左ページから37カット目右ページ。「刑せられしを」は写本で確認した。私家版の一方の「刑せらしを」は採らない。
注記
第3節の注。「心もてせば」と「心をもてせば」の異同は、写本の当該箇所を拡大して確認できていない。活字本に従って「心もてせば」のままにする。
注記
第3節の注。□□□□の蛮字は、写本では本文の中に4文字が図として書き込まれている。35カット目の舟図の蛮字と同じ形。
校合
第3節の注。「浦賀の沖に歇りたるイギリス船」は、1818年のゴルドン来航を指すと私家版の註が推定している。
注記
第3節の注。37カット目左ページから次の話「品革の巨女」が始まる。
判読保留
判読保留は「段々」の振り仮名、「聞見録」の冒頭の「二」、「心もてせば」の3件で、いずれも第1節から第3節の注に記した。

AI試訳 / 専門家未校閲