品川の巨女
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十一集 第12話 / 琴嶺舎 滝沢興継
品川宿の背丈六尺七寸の飯盛女つたの手形を写し、翌年見た大女の力持ちを紛い物と見抜く。
本文 現代語訳
文化四年丁卯の夏四月のころより、世の風聞にきこえたる、品川駅の橋の南なる〔ここを「橋むかふ」と唱ふるなり〕鶴屋がかかえの飯盛女に、名を「つた」といへるは、その年廿歲にて、衣類は、長さ六尺七寸にして、据をひくこと、一、二寸に、すぎず。膂力ありといへども、そのちからを、あらはさざりしとぞ。
文化四年丁卯の夏四月ごろから世間の噂に聞こえた、品川宿の橋の南〔ここを「橋向かう」と呼ぶ〕の鶴屋が抱える飯盛女で名を「つた」という者は、その年二十歳で、衣類は丈六尺七寸でありながら裾を引くことは一、二寸に過ぎなかった。腕力もあったが、その力を見せることはなかったという。
世に稀なる巨女なれども、全体、よく、なれあふて、しな、かたち、見ぐるしからず、顔ばせも、人なみなれば、「この巨女に、あはん」とて、夜毎にかよふ嫖客、多かり。
世にまれな大女だが、全体がよく釣り合っていて姿かたちは見苦しくなく、顔つきも人並みだったので、「この大女に会おう」と夜ごとに通う遊客が多かった。
当時、その手形を家巌におくりしもの、あり。すなはち、草して左に載せたり。
当時、その手形を父に送ってきた者がいる。そこで写して左に載せた。
その手は中指の頭より、掌の下まで、曲尺六寸九分、横幅、巨指を加へて、四寸弱なり。その図、左のごとし。
その手は中指の先から掌の下まで曲尺で六寸九分、横幅は親指を加えて四寸弱である。その図は左のとおり。
件の「つた」は、出処、駿河のものなりとぞ。「ひが事をす」とよまれたる、「いせ人」にあらねども、阿漕の浦に引く網のたびかさなれる客ならねば、手を袖にして、あらはさず、足さへ、見するを、恥ぢしとぞ。
この「つた」は出身は駿河の者だという。「ひが事をする」と詠まれた伊勢人ではないが、阿漕の浦に引く網のようにたびたび重なる客でなければ、手を袖に入れて見せず、足さえ見せるのを恥じたという。
これらはをなごの情なるべし。あまりに、いたくはやりにければ、瘡毒を伝染して、あらぬさまなりしかば、千鳥なくのみ、客は、かよはず。「いく程もなく、その病にて、身まかりにき」と、いふものありしが、さなりや、よくは、しらず。
これらは女心というものだろう。あまりにひどく流行ったので、瘡毒がうつってあらぬ姿になり、千鳥が鳴くばかりで客は通わなくなった。「いくらもたたずにその病で亡くなった」と言う者もいたが、本当かどうか、よくは知らない。
又、その翌年〔文化五年〕の冬のころ、湯島なる天満宮の社地にて、「おほをんなのちからもち」といふものを見せしこと、あり。
またその翌年〔文化五年〕の冬ごろ、湯島の天満宮の境内で「大女の力持ち」というものを見せたことがあった。
予は、なほ、総角にて、浅草の「としの市」のかへるさに、立ちよりて、それをば、見けるに、よのつねのをんなより、一岌、大きなるは、偉きかりしが、品川の「つた」が手形にくらぶれば、いたく見劣りて、さのみ、多力なるものとは、見えざりき。
私はまだ少年で、浅草の歳の市の帰りに立ち寄ってそれを見たが、普通の女よりひときわ大きいのは目立ったものの、品川の「つた」の手形に比べるとひどく見劣りがして、それほど力持ちとも見えなかった。
「彼「品川のおほをんな」は、是なるべし。」と、おもはする、「紛らしもの」としられたり。かばかりはかなきうへにだも、贋物、いで来たる、油断のならぬ世にこそありけれ。ここに、すぎこしかたを思へば、十八、九年のむかしになりぬ。
「あの品川の大女はこれだろう」と思わせる紛い物だと分かった。これほどはかないものにさえ贋物が出てくる、油断のならない世の中である。ここに過ぎ去ったことを思えば、十八、九年の昔になった。
時に、筆研の間、亦、戯れにしるすといふ。
時に筆硯の合間に、また戯れに記すという。
文政八年乙酉小春念三 琴嶺
文政八年乙酉小春二十三日 琴嶺
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
品革の巨女
文化四年丁卯の夏四月のころより世の風聞にきこえたる品川驛の橋の南なる〔こゝを橋むかふと唱ふるなり〕鶴屋がかゝえの飯盛女に名をつたといへるはその年廿歲にて衣類は長さ六尺七寸にして据をひくこと一二寸にすぎず膂力ありといへどもそのちからをあらはさゞりしとぞ
世に稀なる巨女なれども全體よくなれあふてしなかたち見ぐるしからず顏ばせも人なみなればこの巨女にあはんとて夜每にかよふ嫖客多かり
當時その手形を家巖におくりしものありすなはち草して左に載せたり
その手は中指の頭より掌の下まで曲尺六寸九分橫幅巨指を加へて四寸弱なりその圖左のごとし
件のつたは出處駿河のものなりとぞひが事をすとよまれたるいせ人にあらねども阿漕の浦に引く網のたびかさなれる客ならねば手を袖にしてあらはさず足さへ見するを恥ぢしとぞ
これらはをなごの情なるべしあまりにいたくはやりにければ瘡毒を傳染してあらぬさまなりしかば千鳥なくのみ客はかよはずいく程もなくその病にて身まかりにきといふものありしがさなりやよくはしらず
又その翌年〔文化五年〕の冬のころ湯島なる天滿宮の社地にておほをんなのちからもちといふものを見せしことあり
予はなほ總角にて淺草のとしの市のかへるさに立ちよりてそれをば見けるによのつねのをんなより一岌大きなるは偉きかりしが品川のつたが手形にくらぶればいたく見劣りてさのみ多力なるものとは見えざりき
彼品川のおほをんなは是なるべしとおもはする紛らしものとしられたりかばかりはかなきうへにだも贋物いで來たる油斷のならぬ世にこそありけれこゝにすぎこしかたを思へば十八九年のむかしになりぬ
時に筆硏の間亦戲れにしるすといふ
文政八年乙酉小春念三 琴嶺
注
- 写本の位置
- 写本は3166の37カット目左ページから39カット目右ページまで。37カット目左ページの右端に題「品革の巨女」があり、「オホヲンナ」の振り仮名が付く。38カット目右ページは手形の輪郭図で、図中に書き込みはない。39カット目右ページの末尾に「文政八年乙酉小春念三」と「琴嶺」がある。
- 注記
- 目録の題は「品川の巨女」で、本文の見出しは「品革の巨女」。passage の題は目録に従い、原文の冒頭は本文の見出しにした。
- 注記
- 「こゝを橋むかふと唱ふるなり」は写本では本文中の小字二行の割注。〔 〕に入れた。
- 注記
- 「頭」の「サキ」、「巨指」の「オホ」、「瘡」の「カサ」の振り仮名は写本で確認し、原文からは外した。
- 校合
- 活字本系テキストが末尾に置く「乙酉霜月兎園會」は、写本では39カット目左ページの冒頭にあり、次の「天台靈空是湛靈空」の前に立つ見出しなので、第13話の冒頭に移した。
- 注記
- 「家巖」は父の意で、琴嶺舎の父は馬琴。「ひが事をす」は伊勢人の古歌。「阿漕の浦に引く網」は「たびかさなる」を導く成句。
- 校合
- 字句はページ全体の画像で活字本系テキストと読み合わせ、異同は見つからなかった。原寸では確かめていない。
- 校合
- 私家版は1記事。
AI試訳 / 専門家未校閲