雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

天台霊空是湛霊空

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十一集 第13話 / 角鹿桃窓

天台の光謙霊空と浄土宗の是湛霊空は別人なのに、印譜が二人の印を混同していると指摘する。

本文 現代語訳

乙酉霜月兎園会
乙酉霜月兎園会
天台霊空是湛霊空 平安 角鹿桃窓
天台の霊空と是湛霊空 平安 角鹿桃窓
享保、元文の頃ほひ、沙門光謙、字は霊空といふ天台宗の学匠たり。近年、皆川淇園翁、一たび、其文章を賞せしより、其名、ますます、あらはれぬ。その書もまた、奇逸なるものなり。また宝暦、明和の頃、浄土宗に霊空、字は是湛といふ僧あり。寛政十一年の刻本、平捃印補正に、比叡山光謙、字霊空と載せ、霊空、是湛の二印を出だせるは、頗、杜撰なり。こは、かの是湛、霊空の印にして、天台霊空の印には、あらず。是、湛霊空は、晩年、寺町今出川の辺、西山派の寺に住せり。此二僧、書風、かつて似るべくもあらぬを、など、誤り伝へたるにや。
享保、元文のころ、沙門光謙、字は霊空という天台宗の学匠がいた。近年、皆川淇園翁がひとたびその文章を賞めてから、その名はますます知られた。その書もまた奇逸なものである。また宝暦、明和のころ、浄土宗に霊空、字は是湛という僧がいた。寛政十一年の刻本『捃印補正』に比叡山光謙、字霊空と載せて霊空、是湛の二印を出しているのは、はなはだ杜撰である。これはあの是湛霊空の印であって、天台の霊空の印ではない。是湛霊空は晩年、寺町今出川のあたりの西山派の寺に住んだ。この二僧の書風はまったく似るはずもないのに、どうして誤り伝えたのだろうか。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

乙酉霜月兎園會

天台靈空是湛靈空 平安 角鹿桃窻

享保元文の頃ほひ沙門光謙字は靈空といふ天台宗の學匠たり近年皆川淇園翁一たび其文章を賞せしより其名ますますあらはれぬその書もまた奇逸なるものなりまた寶曆明和の頃淨土宗に靈空字は是湛といふ僧あり寬政十一年の刻本平捃印補正に比叡山光謙字靈空と載せ靈空是湛の二印を出だせるは頗杜撰なりこはかの是湛靈空の印にして天台靈空の印にはあらず是湛靈空は晚年寺町今出川の邊西山派の寺に住せり此二僧書風かつて似るべくもあらぬをなど誤り傳へたるにや

注

写本の位置
写本は3166の39カット目左ページから40カット目右ページまで。39カット目左ページの冒頭に「乙酉霜月兎園會」の見出しがあり、次の行に題「天台靈空是湛靈空」と「平安 角鹿桃窻」がある。署名はない。
校合
「乙酉霜月兎園會」は活字本系テキストが前の話の末尾に付けるが、写本では本話の前に立つ見出しなので、ここに置いた。文政八年十一月の兎園会に出された話とみられる。目録には披講者の記載がなく、本文の「平安 角鹿桃窻」を披講者とした。
校合
「平捃印補正」は活字本系の表記のまま。写本も「平捃印補正」と読める。「平」の意味は未確認で、『捃印補正』は印譜の書名。
校合
「傳ヘたる」の片仮名は活字本系の表記で、写本は平仮名の「へ」と読める。
注記
角鹿桃窓は京都の人物で、兎園会の客分とみられるが未確認。光謙霊空は安楽律院の祖、是湛霊空は西山派の僧、皆川淇園は京都の儒者。
校合
字句はページ全体の画像で活字本系テキストと読み合わせ、異同は見つからなかった。原寸では確かめていない。
校合
私家版は1記事。

AI試訳 / 専門家未校閲