大酒大食の会
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十二集 第4話 / 海棠庵 関思亮
文化十四年に両国柳橋の万屋で開かれた大酒大食の会の記録に、海棠庵が自分の見た大飲の例を添える。
本文 現代語訳
文化十四年丙丑三月二十三日、両国柳橋万屋八郎兵衛方にて大酒大食の会興行、連中の内稀人の分書き抜き。
文化十四年丙丑三月二十三日、両国柳橋の万屋八郎兵衛方で大酒大食の会が催された。参加者のうち、めざましい者の分を書き抜く。
一、三升入り盃にて三盃 小田原町 堺屋忠蔵 丑六十八
一、三升入りの盃で三盃 小田原町 堺屋忠蔵 丑年生まれ六十八歳
一、同六盃半 芝口 鯉屋利兵衛 三十 その座に倒れ、余程の間休息致し、目を覚まし、茶碗にて水十七盃飲む。
一、同じ盃で六盃半 芝口 鯉屋利兵衛 三十歳 その場に倒れ、しばらく休んで目を覚まし、茶碗で水を十七盃飲んだ。
一、五升入り丼鉢にて一盃半 小石川春日町 天堀屋七右衛門 七十三 直に帰り、聖堂の土手に倒れ、明け七つ時まで打ち臥す。
一、五升入りの丼鉢で一盃半 小石川春日町 天堀屋七右衛門 七十三歳 すぐに帰り、聖堂の土手に倒れて、明け方の七つ時まで寝ていた。
一、五合入りの盃にて十一盃 本所石原町 美濃屋儀兵衛 五十一 跡にて「五大力」をうたひ、茶を十四盃飲む。
一、五合入りの盃で十一盃 本所石原町 美濃屋儀兵衛 五十一歳 そのあと「五大力」を歌い、茶を十四盃飲んだ。
一、三合入りにて二十七盃 金杉 伊勢屋伝兵衛 四十七 跡にて飯三盃、茶九盃。じんくを躍る。
一、三合入りで二十七盃 金杉 伊勢屋伝兵衛 四十七歳 そのあと飯を三盃、茶を九盃。甚句を踊った。
一、一升入りにて四盃 山の手 藩中の人 六十三 跡にて東西の謡をうたひ、一礼して直に帰る。
一、一升入りで四盃 山の手 ある藩の人 六十三歳 そのあと東西の謡を歌い、一礼してすぐ帰った。
一、三升入りにて三盃半 明屋敷の者 跡にて少しの間倒れ、目を覚まし、砂糖湯を茶碗にて七盃飲む。
一、三升入りで三盃半 明屋敷の者 そのあと少しの間倒れ、目を覚まして砂糖湯を茶碗で七盃飲んだ。
右のほか、酒連三四十人ばかりこれあり候へども、二三升位のもの故、これを記さず。
このほか酒の組は三四十人ほどいたが、二三升程度の者なので記さない。
一、饅頭五十、羊肝七棹、薄皮餅三十、茶十九はい 神田 丸屋勘右衛門 五十六
一、饅頭五十、羊羹七棹、薄皮餅三十、茶十九杯 神田 丸屋勘右衛門 五十六歳
一、まんぢう三十、鶯餅八十、松風せんべい三十枚、沢庵の香の物丸のまま五本 八町堀 伊予屋清兵衛 六十五
一、饅頭三十、鶯餅八十、松風煎餅三十枚、沢庵の漬物を丸のまま五本 八丁堀 伊予屋清兵衛 六十五歳
一、米まんぢう五十、鹿の子餅百、茶五盃 麹町 佐野屋彦四郎 二十八
一、米饅頭五十、鹿の子餅百、茶五杯 麹町 佐野屋彦四郎 二十八歳
一、まんぢう三十、小らくがん二升程、やうかん三棹、茶十七盃 千住 百姓 武八 三十七
一、饅頭三十、小落雁二升ほど、羊羹三棹、茶十七杯 千住 百姓 武八 三十七歳
一、今坂もち三十、煎餅二百枚、梅干し一壺、茶十七盃 丸山片町 安達屋新八 四十五
一、今坂餅三十、煎餅二百枚、梅干し一壺、茶十七杯 丸山片町 安達屋新八 四十五歳
一、酢、茶わんにて五十盃、茶漬け三盃 麻布 亀屋左吉 四十七
一、酢を茶碗で五十杯、茶漬け三杯 麻布 亀屋左吉 四十七歳
飯連〔常の茶漬け茶碗にて、万年味噌にて茶づけ、香の物ばかり〕
飯の組〔いつもの茶漬け茶碗で、万年味噌の茶漬けと漬物だけ〕
一、飯五十四盃、たうがらし五十八 浅草 和泉屋吉蔵 七十三
一、飯五十四杯、唐辛子五十八本 浅草 和泉屋吉蔵 七十三歳
一、同四十七盃 小日向 上総屋茂左衛門 四十九
一、同じく四十七杯 小日向 上総屋茂左衛門 四十九歳
一、同六十八盃、醤油二合 三河島 三右衛門 四十一
一、同じく六十八杯、醤油二合 三河島 三右衛門 四十一歳
鱣連〔いづれも喜撰の茶づけ〕
鰻の組〔いずれも喜撰の茶漬け付き〕
一、金一両二分 うなぎすぢ 本郷春木町 吉野屋幾右衛門 七十五
一、金一両二分 鰻の筋 本郷春木町 吉野屋幾右衛門 七十五歳
一、金一両一分二朱 中すぢ 深川仲町 万屋吉兵衛 五十一
一、金一両一分二朱 中筋 深川仲町 万屋吉兵衛 五十一歳
一、金一両二分 同、飯七盃 浅草 冨田屋千蔵 六十三
一、金一両二分 同じく、飯七杯 浅草 冨田屋千蔵 六十三歳
一、金一両二朱 同、飯五盃 両国米沢町 米屋善助 四十八
一、金一両二朱 同じく、飯五杯 両国米沢町 米屋善助 四十八歳
蕎麦組〔各二八、中平盛り、尤も上そば〕
蕎麦の組〔いずれも二八そばの中盛り、もちろん上等のそば〕
一、五十七盃 新吉原 桐屋惣左衛門 四十二
一、五十七杯 新吉原 桐屋惣左衛門 四十二歳
一、四十九盃 浅草駒形 鍵屋長介 四十五
一、四十九杯 浅草駒形 鍵屋長介 四十五歳
一、六十三盃 池の端仲町 山口屋吉兵衛 三十八
一、六十三杯 池の端仲町 山口屋吉兵衛 三十八歳
一、三十六盃 神田明神下 肴屋新八 二十八
一、三十六杯 神田明神下 肴屋新八 二十八歳
一、四十三盃 下谷 藩中の人 五十三
一、四十三杯 下谷 ある藩の人 五十三歳
一、八寸重箱にて九盃、豆腐汁三盃 小松川 吉左衛門 七十七
一、八寸の重箱で九杯、豆腐汁三杯 小松川 吉左衛門 七十七歳
右にしるす数人は、浜町小笠原家の臣某、「その会にゆきて見るに違ひなし」といへり。人の飲食の量、大概限りあるものにて、いと疑はしきまでなり。されど予いぬる日、お玉が池なる縁家にゆきしとき、新川の酒問屋〔家名は忘れたり〕喜兵衛といふもの来て、この者、「水を飲むこと天下第一なるべし」と自負するよしなれば、「いざ」とて、一升余も入るべき器に水を十分入れて出せしに、たちまち二碗を飲みほして、さていふ、「おのれ既に飯を喫して、いくほどもなければ、多く飲みがたし。食前ならんには、今一二碗は容易し」といへり。予が目撃せしもの、この喜兵衛が水と、九鬼侯の医師西川玄章が枝柿を百食ひしとなり。かかれば大食大飲の人は、腸胃おのづから異なるところありや、知らず。
ここに記した人々については、浜町の小笠原家の家臣の某が、「その会に行って見たが間違いない」と言った。人の飲食の量はおおよそ限度があるもので、まことに疑わしいほどである。しかし私が先日、お玉が池の縁者の家に行ったとき、新川の酒問屋〔家名は忘れた〕の喜兵衛という者が来て、この者は「水を飲むことでは天下一だろう」と自負しているというので、「では」と一升あまり入る器に水をなみなみと入れて出したところ、たちまち二碗を飲み干して、こう言った。「私はすでに飯を食べて間もないので、たくさんは飲めません。食前なら、あと一二碗はたやすい」と。私が自分の目で見たのは、この喜兵衛の水と、九鬼侯の医師西川玄章が枝柿を百個食べたことである。してみると大食大飲の人は、胃腸がもともと普通と違うところがあるのだろうか、わからない。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
大酒大食の會
文化十四年丙丑三月廿三日、兩國柳橋万屋八郞兵衞方にて大酒大食の會興行、連中の内稀人の分書拔。
酒組
一三升入盃にて三盃 小田原町 堺屋忠藏 丑六十八
一同六盃半 芝口 鯉屋利兵衞 三十 其座に倒れ、余程の間休息致し、目を覺し、茶碗にて水十七盃飲。
一五升入丼鉢にて壱盃半 小石川春日町 天堀屋七右衞門 七十三 直に歸り、聖堂の土手に倒れ、明七時迄打臥。
一五合入の盃にて拾壱盃 本所石原町 美濃屋儀兵衞 五十一 跡にて五大力をうたひ、茶を十四盃飲。
一三合入にて弐拾七盃 金杉 伊勢屋傳兵衞 四十七 跡にて飯三盃、茶九盃。じんくを躍る。
一壱升入にて四盃 山の手 藩中之人 六十三 跡にて東西の謠をうたひ、一禮して直にかへる。
一三升入にて三盃半 明屋敷の者 跡にて少の間倒れ、目を覺し、砂糖湯を茶碗にて七盃飲。
右之外、酒連三四十人計り有之候へども、二三升位のもの故、不記之。
菓子組
一饅頭五十、羊肝七棹、薄皮餅三十、茶十九はい 神田 丸屋勘右衞門 五十六
一まんぢう三十、鶯餅八十、松風せんべい三十枚、澤庵の香の物丸のまゝ五本 八町堀 伊豫屋淸兵衞 六十五
一米まんぢう五十、鹿の子餅百、茶五盃 麹町 佐野屋彥四郞 二十八
一まんぢう三十、小らくがん弐升程、やうかん三棹、茶十七盃 千住 百姓 武八 三十七
一今坂もち三十、煎餅弐百枚、梅干壱壺、茶十七盃 丸山片町 安達屋新八 四十五
一酢茶わんにて五十盃、茶漬三盃 麻布 龜屋左吉 四十七
飯連〔常の茶漬茶碗にて、萬年味噌にて茶づけ、香の物ばかり〕
一飯五十四盃、たうがらし五十八 淺草 和泉屋吉藏 七十三
一同四十七盃 小日向 上總屋茂左衞門 四十九
一同六十八盃、醬油二合 三河嶋 三右衞門 四十一
鱣連〔いづれも喜撰の茶づけ〕
一金壱兩弐分 うなぎすぢ 本鄕春木町 吉野屋幾右衞門 七十五
一金壱兩壱分弐朱 中すぢ 深川仲町 万屋吉兵衞 五十一
一金壱兩弐分 同、飯七盃 淺草 冨田屋千藏 六十三
一金壱兩弐朱 同、飯五盃 兩國米澤町 米屋善助 四十八
蕎麥組〔各二八、中平盛、尤上そば〕
一五十七盃 新吉原 桐屋惣左衞門 四十二
一四十九盃 淺草駒形 鍵屋長介 四十五
一六十三盃 池の端仲町 山口屋吉兵衞 三十八
一三十六盃 神田明神下 肴屋新八 二十八
一四十三盃 下谷 藩中之人 五十三
一八寸重箱にて九盃、豆腐汁三盃 小松川 吉左衞門 七十七
右にしるす數人は、濱町小笠原家の臣某、その會にゆきて見るに違なしといへり。人の飮食の量、大槪限りあるものにて、いと疑しきまでなり。されど予いぬる日、お玉が池なる縁家にゆきしとき、新川の酒問屋〔家名は忘れたり〕喜兵衞といふもの來て、このもの水を飲むこと天下第一なるべしと自負するよしなれば、いざとて、一升余も入るべき器に水を十分入れて出せしに、忽弐碗をのみほして、さていふ、おのれ既に飯を喫して、いくほどもなければ、多くのみがたし。食前ならんには、今一弐碗は容易しといへり。予が目擊せしもの、この喜兵衞が水と、九鬼侯の醫師西川玄章が枝柿を百食ひしとなり。かゝれば大食大飮の人は、腸胃おのづから異なるところありや、しらず。
海棠庵記
注
- 写本の位置
- 写本は3172の11カット目左ページから14カット目右ページの前半まで。14カット目右ページの中ほどに「海棠庵記」の署名があり、同じページの後半から次の話「風流祭」が始まる。
- 写本の位置
- 写本は各人の記事を一行の「一」で始め、品目と量を一行に、住所と名と年齢をその下に小さく書く。原文では一人を一段落にまとめた。
- 校合
- 「万屋八郞兵衞」「万屋吉兵衞」「余程」「一升余」は写本の字体。活字本系テキストは萬屋、餘程、一升餘とする。写本の略字をそのまま採った。
- 校合
- 「三河嶋」は写本の表記。活字本系は「三河島」とする。
- 校合
- 「淺草 冨田屋千藏 六十三」の年齢は写本にあり、活字本系にはない。写本では名の左下に小さく書かれている。
- 校合
- 「飯を喫して」は写本の読み。活字本系は「飯を契して」とする。
- 注記
- 「金壱兩壱分弐朱」の脇に朱の点がある。原寸で切り出したが、記号の意味は不明。
- 注記
- 「じんく」は甚句。「五大力」は当時流行した端唄。「喜撰」は宇治の茶の銘。「今坂もち」は今坂餅で、江戸の菓子。「たうがらし」は唐辛子。
- 注記
- 文化十四年は一八一七年。両国柳橋の万屋八郎兵衛は料理茶屋の万八楼で、この大食会は絵入りの摺物でも知られる。
- 注記
- 「予」は海棠庵こと関思亮。九鬼侯は摂津三田藩の九鬼家。西川玄章は九鬼家の医師と解した。人物の特定は雲亭の推定で未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲