犬猫の幸不幸 附養老長寿
河豚の毒に当たった犬が死に猫が角叉を食べて助かった話に、美濃養老の百歳の老人の祝宴の記事と歌を添える。
本文 現代語訳
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
犬猫の幸不幸
いぬる十一月廿三日、内藤新宿なる旅籠屋橋本惣八が家にて、河豚を料理ける時、その骨膓を家のうらなる子犬と、家に飼ふたる猫と食ひけるに、忽口より白き淡をふき、くるくるとめぐり、七轉八倒していとくるしげに見えし程に、犬はそのまゝ死しぬ。猫は座敷へよろめき上りつゝ、折ふし座敷の腰張をせんとて、つのまたといふものを煮て盆に入れて置たるを、此猫そのつのまたを啖ひけるに、見るが内にくるしみの氣色うせて、平日のごとくになりけり。これつのまたは魚毒を解すものなるか。それをしりて猫の食ひけるか。又はくるしさのまゝに何となくくらひしか。自然とつのまたの功によりて魚毒を解したるにや。とまれかくまれ、犬は不幸にして死し、猫は幸にして免れたり。畜類すら瞬息の間に幸不幸かくのごとく其數あるものなり。
似たり。されど其物の異なるをれ、一生涯の吉凶禍福とろふしく又悔む。よくしるをみなて。
養老の長壽
美濃國養老の瀧の程近き養老山の麓高田村の經師千次郞といふものは、享保十一年に生れて、今茲文政八年齡百歲になりにければ、この春三月三日賀莚を催しける時、集會の子孫、妻は□中にて、その子六十五歲、孫四十五歲、曾孫十五歲、この時十三四歲の玄孫あり。すべて七十九人とぞきこえし。これより□□大垣殿より米拾俵をたまはりしとぞ。いとめでたく□記□□。けふの兎園のまとゐにおさめんと、この一條を志るしつけぬ。よろこびの餘り、文寶一首の秀歌をよみにき。そのうた、
すこやかなみのを養ふ老らくにあやかりたきの音に聞つる
この一條は尾州名古屋人田鶴丸ぬしの物がたりなれば、鶴のはなしを龜屋が聞とり、千秋萬歲萬々歲と目出度筆をとゞむるになん。
文政乙酉臘月朔 文寶堂散木志るす
本草綱目云
鹿角菜〔食性〕〔トサカノリ〕〔主治〕下熱風氣、療小兒骨蒸熱勞、服丹石人食之、能下石力、解麵熱。
倭名類聚抄云
鹿角菜〔ツノマタ〕崔禹錫食經云、鹿茸狀似水松〔和名豆乃萬太〕。文選江賦注云、鹿角菜〔漢語抄云、和名同上〕。
救急選方云
食章魚中毒〔本朝經驗〕、鹿角菜〔フノリ〕湯浸化飮之、亦解諸魚毒。
右本草にはトサカノリとありて、魚毒を解する事は見えざれども、倭名抄にはツノマタとあり。救急選方による時はフノリとありて、諸の魚毒を解くとあり。さればツノマタもフノリも同物にて、こまかき所を布苔に製し、あらき屑を角岐となすものにて、一種二名にして、鹿角菜はフノリツノマタなる事あきらけし。さるゆゑに河豚の魚毒を解くるものなるべし。
乙酉臘八 文寶堂再識
兎園犬猫の禍福の條にあはせて御らん可被下候
注
- 写本の位置
- 写本は3172の22カット目左ページの後半から24カット目右ページの前半まで。22カット目左ページに「犬猫の幸不幸」の題があり、23カット目左ページに「養老の長壽」の小題が立ち、24カット目右ページの前半に「文寶堂散木志るす」の署名がある。同じページの後半から次の話「瞽婦殺賊」が始まる。
- 注記
- 「本草綱目云」以下の文寶堂再識は、写本では次の話「瞽婦殺賊」の後、25カット目左ページから26カット目右ページに置かれている。末尾に「兎園犬猫の禍福の條にあはせて御らん可被下候」と小字で添えてあり、この話への追記なので末尾に置いた。「トサカノリ」「主治」「ツノマタ」「フノリ」は写本で枠で囲んだ字。「食性」「和名豆乃萬太」「漢語抄云和名同上」「本朝經驗」は小字の割注。いずれも〔 〕に入れた。
- 校合
- 「右本草には」は写本の読み。活字本系は「右本章には」とする。半ページの画像で読み、原寸では確かめていない。
- 校合
- 活字本系のテキストは「其數あるものなり」の後に「編者曰、此間に數行を脫したるものなるべし」と注し、附の養老長寿の本文を欠く。写本は23カット目左ページに二行の結びと「養老の長壽」の一節を持つ。この部分は活字本系に対応がなく、原寸で切り出して読んだが、くずしが強く判読を保留する箇所が多い。
- 判読保留
- 「似たり。されど其物の異なるをれ、一生涯の吉凶禍福とろふしく又悔む。よくしるをみなて。」の二行は全体を判読保留とする。冒頭二字は「似たり」とも「仰り」とも読める。「をれ」「とろふしく」「よくしるをみなて」は字形をなぞった仮の読みで、意味が通らない。
- 注記
- 養老の長寿の一節で、「妻は□中にて」の□は一字未詳。「これより□□」は二字未詳。「いとめでたく□記□□」は三字未詳。「大垣殿」の「垣」は字形が「恒」に近いが、養老山麓の高田村が大垣藩領であることから「大垣」と読んだ。「經師」「賀莚」「すべて七十九人」「たまはりしとぞ」「おさめんと」「志るしつけぬ」は原寸で読んだが判読を保留する。
- 校合
- 「瞬息」は写本の読み。活字本系は「瞬遠」とする。原寸で切り出したが、「息」の字形に確信がなく判読を保留する。「畜類すら」の脇に朱の丸と朱の一字があり、読み切れない。
- 校合
- 「飼ふたる」「置たる」「聞とり」「聞つる」は写本の送り仮名。活字本系は「飼うたる」「置きたる」「聞きとり」「聞きつる」とする。半ページの画像で読み、原寸では確かめていない。
- 注記
- 「つのまた」は海藻の角叉で、煮て糊にし、腰張りなどに使った。「膓」は腸の異体字。「淡」は泡の意で用いた字。「腰張」は座敷の壁の下部に紙を張ること。
- 注記
- 享保十一年は一七二六年、文政八年は一八二五年で、数えで百歳になる。「養老の瀧」は美濃国多芸郡の養老の滝。「高田村」は養老山麓の村で、今の岐阜県養老町高田。「經師」は表具師と解した。「田鶴丸」は名古屋の人で、他の集にも登場する。「龜屋」は文宝堂の家名。「散木」は文宝堂の別号と解した。いずれも雲亭の推定で未確認。
- 校合
- 私家版は本文を二つの記事に分けている。二つ目の記事のURLは https://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2021/11/post-590c8d.html で、本文は同一で注のみ異なる。
AI試訳 / 専門家未校閲