雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

いきの数 附えそ鶸図考 三十一字

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十二集 第9話 / 輪池堂 屋代弘賢

一昼夜の呼吸数を諸説と実測で考え、蝦夷鶸の正体をいすかと比べ、三十一字の歌の組み合わせ数を算術で示す輪池堂の三篇。

本文 現代語訳

いきの数 えそ鶸図考 三十一字
いきの数 えそ鶸図考 三十一字
人の息の数、西土諸家の説おなじからず。一昼夜に一万三千五百息〔一呼吸を一息とす〕といへるは古来の説なり。或いは二万五千二百息といひ〔天経或問〕、或いは三万六千五百息といふ〔詈意経〕。かくのごとく大異同あるによりて、人の疑ふ所なり。弘賢これを試みしに、人の長短によりておなじからず。五人試みしに、第一長大の人は一万八千六百息、其の次は二万二千五百六息、至りて短少の人は三万四千七百四息にいたれり。其の次は二万二千八息。然れば古来一万三千五百息といひ、多きに至りて三万六千五百息といへるも、共に偽りにあらざるべし。
人の息の数は、中国の諸家の説が一致しない。一昼夜に一万三千五百息〔一呼吸を一息とする〕というのが古来の説である。あるいは二万五千二百息といい〔天経或問〕、あるいは三万六千五百息という〔詈意経〕。このように大きな違いがあるので、人の疑うところである。弘賢がこれを試したところ、人の背丈によって同じでない。五人試したところ、いちばん背の高い人は一万八千六百息、その次は二万二千五百六息、もっとも背の低い人は三万四千七百四息に達した。その次は二万二千八息。だから古来一万三千五百息といい、多い方では三万六千五百息というのも、どちらも偽りではないのだろう。
医賸〔多紀安長著〕に曰く、人一日一夜、凡そ一万三千五百息。方以智云ふ、これを窮むるに蓋し洛書の数なり。而して諸書を攷ふるに、其の数一ならず。張景の医説、一万三千五百二十息。小学紺珠、胡氏の易説を引く、一万三千六百余息〔朝鮮金悦卿の梅月堂集に云ふ、人一日に一万三千六百呼吸あり、一呼吸を一息とす、則ち一息の間、潜かに天運一万三千五百年の数を奪ふ、一年三百六十日、四百八十六万息〕。天経或問、二万五千二百息。呂藍衍の言鯖に云ふ、一気の運行、身中に出入し、一時凡そ一千一百四十五息、一昼夜計一万三千七百四十息。釈氏六帖、詈意経を引きて云ふ、一日に三万六千五百息あるなり。何夢瑶の医碥に云ふ、内経に曰く、脈は一日一夜に五十営す。営は運なり。経に謂ふ、人の周身上下左右前後、凡そ二十八脈、共に長さ一十六丈二尺、五十運して計長八百一十丈。呼吸定息して脈行くこと六寸、一日夜に行くこと八百一十丈、計一万三千五百息。按ずるにこれ偽説なり。人一日夜、豈に一万三千五百息に止まらんや。何の言に拠れば、仏説西説並びに一万三千五百より多し。未だ何を以て実数と為すかを知らざるなり。
医賸〔多紀安長の著〕に言う。人は一日一夜におよそ一万三千五百息。方以智は言う、これを突き詰めれば洛書の数である。しかし諸書を調べると、その数は一つでない。張景の医説では一万三千五百二十息。小学紺珠は胡氏の易説を引いて一万三千六百余息〔朝鮮の金悦卿の梅月堂集に言う、人は一日に一万三千六百の呼吸があり、一呼吸を一息とすると、一息の間にひそかに天運一万三千五百年の数を奪う。一年三百六十日で四百八十六万息〕。天経或問では二万五千二百息。呂藍衍の言鯖に言う、一気の運行は身体の中に出入りし、一時におよそ一千一百四十五息、一昼夜で計一万三千七百四十息。釈氏六帖は詈意経を引いて言う、一日に三万六千五百息がある。何夢瑶の医碥に言う、内経に曰く、脈は一日一夜に五十営する。営とは運ることである。経に言うには、人の身体の上下左右前後をめぐる二十八脈は合わせて長さ十六丈二尺で、五十めぐって計八百十丈。一呼吸ごとに脈は六寸進み、一日夜に八百十丈進んで、計一万三千五百息となる。思うにこれは偽りの説である。人が一日夜に、どうして一万三千五百息にとどまろうか。何氏の言によれば、仏説も西洋の説もいずれも一万三千五百より多い。どれを実数とするのか、まだわからない。
乙酉歳暮兎園の一  輪池
乙酉の歳暮、兎園の一  輪池
先会に今日の主の出だされし無名鳥、仮に「蝦夷鶸」と名付けられしを、当直の日携へ出でて、或る侯に見せ参らせしかば、「是は『しまいすか』といふ鳥なり。熊本侯の写真の中に見えたり。依りて今は『蝦夷いすか』とよぶなり。併しながら此の図は尾のきれたる鳥を見てうつしたり。長き尾のさけたるあり」とのたまふ。さらば「全図をかし給はらん」事を乞ひ申ししに、「今は人に貸したれば、返されし時かしてん。其の鳥、某侯に雌雄かはせ給へば、参りて見るべし」とのたまふ。則ち某侯に乞ひ申ししかば、「いつにても」と許させ給ふによりて、二三日過ぎて参りしかば、「さも」と人して鳥籠二つ持ち出でさせ給ひ、初めて見る事を得たり。兼ねて携へし主の図を展べて、くらべ見れば、此の図は雌の方なり。雄のさまはやせたり。雌の尾は或る侯ののたまひしごとくなり。雄の方は尾の先分かれずして尖れり。是は摺り切れたるにもやあらん。然はあれど見しままを写し帰り、人に仰せて画がかせたり〔図は別にあり〕。按ずるに、熊本侯の写真は觜くひちがひたれば、「いすか」の名たがはず。このたびわたりしは、大姿は似たれども、觜くひちがはざれば、「いすか」の名如何あらん。鳴き声「ヲルコル」の笛に似て、至りて微音なり。色も声も鶸にちかきにや。
先の会で今日の主人が出された名の知れない鳥、仮に「蝦夷鶸」と名づけられたものを、当直の日に持って出て、ある侯にお見せしたところ、「これは『しまいすか』という鳥だ。熊本侯の写生図の中に見える。それで今は『蝦夷いすか』と呼んでいる。ただしこの図は尾の切れた鳥を見て写したものだ。長い尾の先が裂けたものがある」とおっしゃった。それでは「全図をお貸しください」とお願いしたところ、「今は人に貸しているので、返されたときに貸そう。その鳥は某侯が雌雄を飼っておられるから、参って見るがよい」とおっしゃる。そこで某侯にお願いしたところ、「いつでも」とお許しくださったので、二三日過ぎて参上すると、「それでは」と人に命じて鳥籠を二つ持ち出させてくださり、初めて見ることができた。かねて持参した主人の図を広げて比べ見ると、この図は雌の方である。雄の姿はやせている。雌の尾はある侯がおっしゃったとおりである。雄の方は尾の先が分かれず尖っている。これは摺り切れたのであろうか。ともあれ見たままを写して帰り、人に命じて描かせた〔図は別にある〕。思うに、熊本侯の写生図は嘴が食い違っているので、「いすか」の名に違わない。今回渡ってきたのは、大きさや姿は似ているが、嘴が食い違っていないので、「いすか」の名はどうであろうか。鳴き声は「オルゴール」の笛に似て、たいへん小さい音である。色も声も鶸に近いのではないか。
乙酉歳暮兎園の二  輪池
乙酉の歳暮、兎園の二  輪池
三十一字の歌を、「浜の真砂のごとく尽くる期なし」といひ伝へたれど、四十七言をもて三十一言を取り用ふれば、尽くる期なきことはあらじと思はるるなり。我わかかりし時、隅東先生のいはれしは、「或る人四十七言の内にて三十一言を除き、これを一字づつ取り替へ取り替へ、上下順倒して乗除し、幾億万に至りて尽くと考へし者ありし」といはれき。今その人の名を忘れたり。又其の書しかせし物も伝はらず。つとめて考へしことの伝はらざるも本意なしとおもひ、世を早うせし我が養子清通が兄前原弁蔵は、もとの古川山城守に学びて算術に達したれば、或る時此の事を語らひて、別に術を施したり。其の数左のごとし。
三十一字の歌を「浜の真砂のように尽きる時がない」と言い伝えてきたが、四十七の仮名から三十一字を取って用いるのだから、尽きる時がないということはあるまいと思われる。私が若かったとき、隅東先生が言われたのは、「ある人が四十七の仮名の中から三十一字を除き、これを一字ずつ取り替え取り替え、上下を入れ替えて掛け算割り算をし、幾億万に至って尽きると考えた者がいた」ということであった。今その人の名を忘れてしまった。またその書きつけたものも伝わっていない。努めて考えたことが伝わらないのも残念に思い、早世した私の養子清通の兄前原弁蔵は、もとの古川山城守に学んで算術に通じていたので、あるときこのことを語り合って、別に計算を施した。その数は左のとおりである。
二百四十七京二千百五十億八千四百一万二千三百三
二百四十七京二千百五十億八千四百一万二千三百三
ただしこれは短歌のみなり。長歌、旋頭歌、混本歌、字あまりの歌はこの外なり。
ただしこれは短歌だけである。長歌、旋頭歌、混本歌、字余りの歌はこの外である。
乙酉歳暮兎園の三  輪池
乙酉の歳暮、兎園の三  輪池
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

いきの數 えそ鶸圖考 三十一字

人の息の數、西土諸家の説おなじからず。一晝夜に一万三千五百息〔一呼吸を一息とす〕といへるは古來の説なり。或は二万五千二百息といひ〔天經或問〕、或は三万六千五百息といふ〔詈意經〕。かくのごとく大異同あるによりて、人の疑ふ所なり。弘賢これを試しに、人の長短によりておなじからず。五人試しに、第一長大の人は一万八千六百息、其次は二万二千五百六息、至りて短少の人は三万四千七百四息にいたれり。其次は二万二千八息。然れば古來一万三千五百息といひ、多きに至りて三万六千五百息といへるも、共に僞にあらざるべし。

醫賸〔多紀安長著〕曰、人一日一夜、凡一萬三千五百息。方以智云、窮之葢洛書之數也。而攷諸書、其數不一。張景醫説、一萬三千五百二十息。小學紺珠引胡氏易説、一萬三千六百餘息〔朝鮮金悦卿梅月堂集云、人一日有一萬三千六百呼吸、一呼吸爲一息、則一息之間、潛奪天運一萬三千五百年之數、一年三百六十日、四百八十六萬息〕。天經或問、二萬五千二百息。呂藍衍言鯖云、一氣之運行、出入於身中、一時凡一千一百四十五息、一晝夜計一萬三千七百四十息。釋氏六帖引詈意經云、一日有三萬六千五百息也。何夢瑤醫碥云、内經曰、脈一日一夜五十營。營、運也。經謂人周身上下左右前後、凡二十八脈、共長一十六丈二尺、五十運計長八百一十丈。呼吸定息脈行六寸、一日夜行八百一十丈、計一萬三千五百息。按此僞説也。人一日夜、豈止一萬三千五百息哉。據何之言、佛説西説並多於一萬三千五百。未知以何爲實數也。

乙酉歲暮兎園之一  輪池

先會に今日の主の出されし無名鳥、假に蝦夷鶸と名付られしを、當直の日携出て、或侯に見せ參らせしかば、是はしまいすかといふ鳥也。熊本侯の寫眞の中に見えたり。依て今は蝦夷いすかとよぶなり。併ながら此圖は尾のきれたる鳥を見てうつしたり。長き尾のさけたるありとのたまふ。さらば全圖をかし給はらん事を乞ひ申しゝに、今は人に貸したれば、返されし時かしてん。其とり、某侯に雌雄かはせ給へば、參りて見るべしとのたまふ。則某侯に乞ひ申しゝかば、いつにてもと許させ給ふによりて、二三日過て參りしかば、さもと人して鳥籠二ツ持出させ給ひ、初めて見る事を得たり。兼て携し主の圖を展て、くらべ見れば、此圖は雌の方なり。雄のさまはやせたり。雌の尾は或侯のゝ給ひしごとくなり。雄の方は尾の先分れずして尖れり。是は摺きれたるにもやあらん。然はあれど見しまゝを寫し歸り、人に仰せて畫がゝせたり〔圖は別にあり〕。按ずるに、熊本侯の寫眞は觜くひちがひたれば、いすかの名たがはず。このたびわたりしは、大姿は似たれども、觜くひちがはざれば、いすかの名如何あらん。鳴聲ヲルコルノ笛にゝて、至りて微音なり。色も聲も鶸にちかきにや。

乙酉歲暮兎園之二  輪池

卅一字の歌を、濱の眞砂のごとく盡くる期なしといひ傳へたれど、四十七言をもて三十一言を取用れば、盡くる期なきことはあらじと思はるゝなり。我わかゝりし時、隅東先生のいはれしは、或人四十七言の内にて三十一言を除き、これを一字づゝ取替取替、上下順倒して乘除し、幾億万に至りて盡くと考へしものありしといはれき。今その人の名を忘れたり。又其書しかせし物も傳はらず。つとめて考へしことの傳はらざるも本意なしとおもひ、世を早うせし我養子淸通が兄前原辨藏は、もとの古川山城守に學びて算術に達したれば、或時此事を語らひて、別に術を施したり。其數左のごとし。

貳佰肆拾七京弐仟佰伍拾億捌仟肆佰零壱萬弐仟參佰零參

たゞしこれは短歌のみなり。長歌旋頭歌混本歌、字あまりの歌はこの外なり。

乙酉歲暮兎園之三  輪池

注

写本の位置
写本は3172の26カット目左ページから27カット目左ページまでが「いきの數」、29カット目左ページから30カット目左ページまでが「えそ鶸圖考」、31カット目右ページから左ページまでが「三十一字」。三つの部分の間に、28カット目右ページから29カット目右ページまで次の話「麻布の異石」が挟まる。目録は三つを一話にまとめるので、一つの passage にし、写本の順は注記にとどめた。活字本系も同じ順で「麻布の異石」を挟む。
注記
各部分の末尾に「乙酉歲暮兎園之一」「之二」「之三」と番号を振り、いずれも「輪池」と署名する。
校合
「西土諸家の説」の「説」は朱で傍書され、墨書は「跡」と読める。活字本系は「跡」とする。朱筆に従った。
校合
「弘賢これを試しに」の「弘賢」は朱で傍書され、墨書は「予」と読める。活字本系は「弘賢」とする。朱筆に従った。「試しに」は写本の送り仮名で、活字本系は「試みしに」とする。半ページの画像で読み、原寸では確かめていない。
注記
「盡くる期なし」「盡くる期なき」の「期」は二か所とも朱で傍書され、墨書は別の字に見える。「混本歌」の「混」も朱で傍書される。「といはれき」の脇にも朱の「と」がある。いずれも朱筆に従った。原寸では確かめていない。
注記
医賸の引用は写本では漢文で書かれ、返り点がある。原文では返り点を省き、句読点を補った。「爲」「為」は写本の字形のまま残した。
校合
「一万」は写本の字。活字本系は「一萬」とする。仮名交じりの本文は「万」、漢文の引用は「萬」と書き分けるので、写本に従った。
校合
「假に」「ヲルコルノ笛」「幾億万」は写本の表記。活字本系は「假に」「「ヲルコル」の笛」「幾億萬」とする。
注記
「圖は別にあり」は写本に小字の割注。写本の当該箇所には鳥の図は綴じられておらず、別紙は確認できない。
注記
「弘賢」は輪池堂屋代弘賢。「多紀安長」は幕府医官の多紀元簡。「方以智」は明末清初の学者。「隅東先生」「前原辨藏」「古川山城守」は人物未確認。「熊本侯」は肥後熊本の細川家で、細川重賢の鳥類写生図を指すと解した。「ヲルコル」はオルゴール。「しまいすか」は現在のシメか小型のアトリ科の鳥と解した。いずれも雲亭の推定で未確認。
注記
「貳佰肆拾七京」以下の数は大字で書かれ、読み下しは通常の数字に改めた。「混本歌」は五七七五の四句の歌。

AI試訳 / 専門家未校閲