雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

麻布の異石

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十二集 第10話 / 麻布学究

麻布に現存する五つの霊石と、鷹石の町の唐豆腐を紹介して兎園の一笑を乞う麻布学究の一文。

本文 現代語訳

麻布の異石
麻布の異石
春秋伝に石の物いひし事を載せて、神霊の憑りたるよしを論ぜり。古来其の例多ければ、今贅するに及ばず。抑も余が住める麻布の地に見聞せし異石五種あり。其の一は秋月家の園中に、三尺ばかりなる寒山拾得の石像、いつの頃にや、「行夜の卒の跡より慕ひ来けるを斬り払ひけり」とて、其の瘢痕を存す。其の二は長谷寺の内に、五六尺ばかりなる夜久神の石像、緇素の諸願をかくるに其の験多し。「是も件の園中に在りしに、長谷の住持霊夢によりて爰に移す」といふ。其の三は山崎家の邸内の陰陽石、これを「結の神」に比して、その願をきくとぞ。其の四は五島家の門前大路の中央に、径尺余の頑石凸起してあり。「道普請の礙りなり」とて掘りけるに、「其の根金輪際までも入りたり」とて、元の如く捨て置きぬ。往来の人塩を手向けて足の願をかくる事、半蔵御門内の石に同じ。其の五は森川家の別墅に、二尺余なる烏帽子形の石に、日月の像顕れ出でたる有り。件の園丁茂左衛門といふ者、霊夢によりて、その郷里越後国頸城郡吉城村の畠より得たりといふ。目出たき石と申すべきか。已上の五石は麻布の地に現存して、人皆これを礼拝すること、米家の昔に異ならず。余天下を巡遊して、異石を歴観せしこと多し。遠き諸州の灼然を略して、近き麻布の隠微を表するのみ。江都の広き、本所の「駒留石」、牛天神の「牛石」、其の余地蔵観音に至りては、僕を更ふとも其の説尽くしがたかるべし。
春秋左氏伝に石が物を言ったことを載せて、神霊が憑いたのだと論じている。古来その例は多いので、今くどくど言うには及ばない。そもそも私の住む麻布の地で見聞きした異石が五種ある。その一は秋月家の庭園にある三尺ほどの寒山拾得の石像で、いつの頃か、「夜回りの兵卒のあとをついて来たので斬り払った」といって、その傷跡が残っている。その二は長谷寺の中にある五六尺ほどの夜久神の石像で、僧俗が諸々の願をかけるとその験が多い。「これももとは秋月家の庭園にあったが、長谷寺の住持が霊夢によってここに移した」という。その三は山崎家の屋敷内の陰陽石で、これを「結びの神」になぞらえて、その願を聞くという。その四は五島家の門前の大路の中央に、差し渡し一尺あまりの固い石が突き出ている。「道普請の邪魔だ」と掘ったところ、「その根は金輪際まで入っている」といって、元のとおりに捨て置いた。往来の人が塩を供えて足の願をかけることは、半蔵御門内の石と同じである。その五は森川家の別荘に、二尺あまりの烏帽子形の石に日月の像が現れ出たものがある。その庭師の茂左衛門という者が、霊夢によって郷里の越後国頸城郡吉城村の畑から得たという。めでたい石と申すべきか。以上の五石は麻布の地に現存し、人々がこれを礼拝することは、米芾が石を拝んだ昔と変わらない。私は天下を巡り歩いて、異石を数多く見てきた。遠い諸国の名高いものは省いて、近い麻布の知られないものを表すだけである。江戸の広さといえば、本所の「駒留石」、牛天神の「牛石」、そのほか地蔵や観音に至っては、下男を代えて聞いてもその話は尽くしがたいだろう。
予が家の傍に字を「鷹石」といふ町あり。昔鷹の形ある石を掘り出して霊異あり。今はなし。この処に唐豆腐を製して「岩石」と名づく。今石のちなみに両三梃を献じて、兎園の一笑を乞ふのみ。
私の家のそばに字を「鷹石」という町がある。昔、鷹の形をした石を掘り出して霊異があった。今はない。この場所で唐豆腐を作って「岩石」と名づけている。今、石の縁にちなんで二三丁を献上して、兎園の一笑を乞うだけである。
臘月吉  麻布村学究
十二月吉日  麻布村学究
こは輪池堂の携へられたれば、その編の間に写しとどめつ。
これは輪池堂が携えて来られたので、その編の間に写しとどめた。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

麻布の異石

春秋傳に石の物いひし事を載て、神靈の憑りたるよしを論ぜり。古來其例多ければ、今贅するに及ばず。抑余が住める麻布の地に見聞せし異石五種あり。其一は秋月家の園中に、三尺許なる寒山拾得の石像、いつの比にや、行夜の卒の跡より慕來けるを斬拂ひけりとて、其瘢痕を存す。其二は長谷寺の内に、五六尺許なる夜久神の石像、緇素の諸願をかくるに其驗多し。是も件の園中に在しに、長谷の住持靈夢によりて爰に移すといふ。其三は山崎家の邸内の陰陽石、これを結の神に比して、その願をきくとぞ。其四は五島家の門前大路の中央に、徑尺餘の頑石凸起してあり。道普請の礙りなりとて掘けるに、其根金輪際までも入りたりとて、元の如く捨置ぬ。往來の人鹽を手向て足の願をかくる事、半藏御門内の石に同じ。其五は森川家の別墅に、二尺餘なる烏帽子形の石に、日月の像顯れ出たる有。件の園丁茂左衞門といふ者、靈夢によりて、その鄕里越後國頸城郡吉城村の畠より得たりといふ。目出たき石と申べきか。已上の五石は麻布の地に現存して、人皆これを禮拜すること、米家の昔に異ならず。余天下を巡遊して、異石を歷觀せしこと多し。遠き諸州の灼然を略して、近き麻布の隱微を表するのみ。江都の廣き、本所の駒留石、牛天神の牛石、其餘地藏觀音に至ては、僕を更ふとも其説盡しがたかるべし。

予が家の傍に字を鷹石といふ町あり。昔鷹の形ある石を堀出して靈異あり。今はなし。この處に唐豆腐を製して岩石と名づく。今石のちなみに兩三梃を獻して、兎園の一笑を乞ふのみ。

臘月吉  麻布村學究

こは輪池堂の携へられたれば、その編の間に寫しとゞめつ。

注

写本の位置
写本は3172の28カット目右ページから29カット目右ページまで。28カット目右ページの冒頭に「麻布の異石」の題があり、29カット目右ページの末尾に「麻布村學究」の署名と、輪池堂が携えたという小字の一行がある。前後は輪池堂の「いきの數」と「えそ鶸圖考」で、目録では第10話に置くが、写本では第9話の三篇の間に挟まる。
注記
署名の「麻布村學究」の脇に朱で「編」と傍書がある。目録の「麻布學究」に対応し、客編であることを示すと解した。
校合
「載て」「在しに」「捨置ぬ」「至ては」「申べきか」は写本の送り仮名。活字本系は「載せて」「在りしに」「捨て置きぬ」「至りては」「申すべきか」とする。
校合
「抑余が」「余天下を」の「余」は写本の字。活字本系は「餘」とする。
校合
「已上」は写本の字。活字本系は「以上」とする。
校合
「堀出して」は写本の字。活字本系は「掘出して」とする。
校合
「臘月吉」は写本の読み。活字本系は「臘月吉日」とする。半ページの画像では「吉」の下に字が見えない。
校合
「兩三梃」の「梃」は字形の推定で判読を保留する。活字本系は日と廷を合わせた字とする。豆腐を数える丁の意と解した。
校合
「こは輪池堂の携へられたれば」の一行は写本で小字で、ページの左端にあり半ページの画像では一部が綴じ目に隠れる。活字本系の字句に従った。
注記
「春秋傳」の石の話は左氏伝昭公八年の石言の記事。「秋月家」は日向高鍋藩の秋月家、「長谷寺」は麻布の永平寺別院長谷寺、「五島家」は肥前福江藩の五島家、「森川家」は下総生実藩の森川家と解した。「米家の昔」は宋の米芾が奇石を拝んだ故事。「半藏御門内の石」は江戸城半蔵門内の足の願をかける石。「鷹石」は麻布の小字。「麻布學究」は本名未詳。いずれも雲亭の推定で未確認。

AI試訳 / 専門家未校閲