騙児悔非自新
読書室で開く(原典画像・関連作品・自分の書架)
兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十二集 第13話 / 琴嶺舎 滝沢興継
金沢の両替商から銀百匁を騙り取った者が十三年後に封賃を添えて返し、詫び状を投げ入れた話と、金沢の学者たちの漢文と評。
本文 現代語訳
騙児非を悔いて自ら新たにす
騙り児が非を悔いて自ら改める
加賀の金沢の枯木橋の西なる出村屋太左衛門といふ商人の両替舗は、浅野川の東の橋詰にあり。文化九年癸酉の大つごもりに、「卯辰山観音院の下部、使なり」と偽りて、出村屋が舗に来つ。百匁包の白銀を騙り取りたる癖者ありしを、当時隈なくあさりしかども、便宜を得ざりしとぞ。かくて十あまり三とせを経て、文政七甲申の年の大つごもりに、出村屋が両替舗に人の出入りの繁き折、花田色のいとふりたる風呂敷包みをなげ入れて、こちねんとしてうせし者あり。たそがれ時の事なれば、その人としも見とめずして、追ふ人ども甲斐はなかりけり。さてあるべきにあらざれば、太左衛門はいぶかりながら、件の包みを解きて見るに、うちには白銀百匁ばかりと銭十六文ありて、一通の手簡を添へたり。封皮を析きてその書を見るに、
加賀の金沢の枯木橋の西にある出村屋太左衛門という商人の両替店は、浅野川の東の橋詰にある。文化九年癸酉の大晦日に、「卯辰山観音院の下男で使いの者だ」と偽って出村屋の店に来た。百匁包みの銀を騙り取ったくせ者がいて、当時くまなく探したが、手がかりが得られなかったという。こうして十三年を経て、文政七年甲申の大晦日に、出村屋の両替店に人の出入りが繁い折、花田色のたいそう古びた風呂敷包みを投げ入れて、そのまま姿を消した者があった。たそがれ時のことなので、その人がどんな者か見届けられず、追いかけた人々も甲斐がなかった。さてそのままにしておくわけにもいかず、太左衛門はいぶかりながらその包みを解いて見ると、中には銀が百匁ほどと銭十六文があって、一通の手紙が添えてあった。封を開いてその書面を見ると、
「十とせあまり先つころ、やつがれ困窮至極して、せんすべのなきままに、胆太くも悪心起こりて、観音院の使と偽り、当御店にて銀百匁を騙り取り候ひき。ここをもて火急なる艱苦をみづから救ふものから、かへり見れば罪いと重くて、身を容るる処なし。よりて年来力を竭して、やや本銀をととのへたれば、その封賃を相添へて、今日なん返し奉る〔国法にて役人百匁ごとに銀を包みて一封とし、印を押して行はしむるに、封賃十六文を取ることとぞ。是すなはち紙の費に充つるといふ。よりてその十六文を添へたるなり〕。ふりにし罪をゆるされなば、かの洪恩を忘るるときなく、死にかへるまで幸ひならん。利銀はなほのちのちに償ひまゐらすべきになん。あなかしこ」
「十年あまり前のこと、私は困窮のきわみで、なすすべもないままに、大胆にも悪心を起こし、観音院の使いと偽って、当御店で銀百匁を騙り取りました。これで火急の苦難を自分で救いはしたものの、かえりみれば罪はたいへん重く、身の置き所がありません。そこで年来力を尽くして、ようやく元の銀を整えましたので、その封賃を添えて今日お返しいたします〔国法で役人が百匁ごとに銀を包んで一封とし、印を押して通用させるのに、封賃として十六文を取ることになっている。これはつまり紙の費用に充てるという。それでその十六文を添えたのである〕。昔の罪をお許しくださるなら、あの大恩を忘れるときはなく、死ぬまで幸いでしょう。利銀はなおのちのちに償い申し上げるつもりです。あなかしこ」
とばかりに、さすがに名氏を記さねども、あるじはさらなり、小者らまでこの文に就き、その意を得て感嘆せぬはなかりけり。同郷の人中沢氏〔名は倹〕、今茲〔文政乙酉〕正月十一日、即願寺といふ梵刹にて太左衛門にあひし折、彼の顛末をうち聞きて、件の手簡を見てけるに、「手跡もその書きざまもいといたう拙なければ、ささやかなる民などのわざなるべし」と思ふといへり。折から尾張の人の篆刻をもて遊歴したるが、「故郷へ帰る」と聞こえしかば、「そがうまのはなむけに」とて、件の趣を綴りたる漢文あり。この夏六月、聖堂の諸生石田氏〔名は煥〕江戸よりかへりて、旧故を訪ひし日、松任の駅なる友人木村子鵠の宿所にて、中沢氏の紀事を閲して、感嘆大かたならざれども、「惜しむらくはその文侏儒なり、よりて綴りかへにき」といふ。漢文亦一編あり。
とだけあって、さすがに名も氏も記していないが、主人はもちろん、小者たちまでこの手紙を読んでその意を知り、感嘆しない者はなかった。同郷の人の中沢氏〔名は倹〕が、今年〔文政乙酉〕正月十一日、即願寺という寺で太左衛門に会った折、この顛末を聞いてその手紙を見たところ、「筆跡も書きぶりもたいそう拙いので、身分の低い民などの仕業だろう」と思ったと言った。折から尾張の人で篆刻を業として遊歴していた者が「故郷へ帰る」と聞こえたので、「その餞別に」と、この趣を綴った漢文がある。この夏六月、聖堂の学生の石田氏〔名は煥〕が江戸から帰って旧知を訪ねた日、松任の宿の友人木村子鵠の宿所で中沢氏の記事を読み、感嘆はひととおりでなかったが、「惜しいことにその文は拙いので、綴り直した」という。漢文がまた一編ある。
且つ編末の評に云ふ、嗚呼是れ一人の身、非義を為せば則ち愚夫も猶ほこれを悪む。其の非を悔い過ちを改むるに及びては、則ち君子も亦これを称す。書に所謂、惟れ聖も念はざれば狂と作り、狂も克く念へば聖と作る。一念の発、其れ慎まざるべけんや。孔子曰く、過ちては改むるに憚ること勿かれ。孟子曰く、人能く恥を知れば則ち恥無し。信なるかな。夫れ人恥を知らざれば、則ち非義暴戻為さざる所無し。苟くも能く恥を知れば、則ち身を立て道を行ふ、豈為し難からんや。是に於て知る、国家仁政の效、以て民をして善に遷りて自ら知らざらしむる者有るを。孔子の所謂恥有りて且つ格るとは、徴すべきかな。
そのうえ編末の評に言う。ああ、これは一人の身で、不義をなしたときは愚か者でもなおこれを憎み、その非を悔いて過ちを改めるに及んでは、君子もまたこれを称える。書経にいわゆる、聖人でも思慮しなければ狂人となり、狂人でもよく思慮すれば聖人となる。一念の発するところ、慎まないでいられようか。孔子は言う、過ちては改めるにためらうな。孟子は言う、人がよく恥を知れば恥はない。まことにそのとおりだ。そもそも人が恥を知らなければ、不義も暴虐もしないことはない。いやしくもよく恥を知れば、身を立て道を行うことがどうして難しかろうか。ここに知る、国家の仁政の効果は、民を善に移らせながら自らそれと気づかせないところにある。孔子のいわゆる「恥あり且つ格る」とは、これで証しできるだろう。
予はその文の巧拙に拘れるにあらねども、只勧懲を旨として、蒼隷農夫も心得やすき仮名文にしつるのみ。さばれその事のはじめ終りを審らかに伝へざりしは、記者の漢文に倣ふたる筆のまはらぬ故なるべし〔銀を騙略せられし時の形勢、後に銀を返しくれし時国主に訴へたるか否の事、原文にもれたり〕。
私はその文の巧拙にこだわるのではないが、ただ勧善懲悪を旨として、下役人や農夫にも理解しやすい仮名文にしただけである。しかしその事の初めから終わりまでを詳しく伝えていないのは、記者が漢文にならった筆の回らないせいであろう〔銀を騙し取られたときの様子や、あとで銀を返してきたときに国主に訴えたかどうかのことが原文に漏れている〕。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
騙兒悔非自新
加賀の金澤の枯木橋の西なる出村屋太左衞門といふ商人の兩替舖は、淺野川の東の橋詰にあり。文化九年癸酉の大つごもりに、卯辰山觀音院の下部使なりと僞りて、出村屋が舖に來つ。百匁包のしろがねを騙りとりたる癖者ありしを、當時隈なくあさりしかども、便宜を得ざりしとぞ。かくて十あまり三とせを經て、文政七甲申の年の大つごもりに、出村屋が兩替舖に人の出入の繁き折、花田色のいとふりたる風呂敷包をなげ入れて、こちねんとしてうせしものあり。たそがれ時の事なれば、その人としも見とめずして、追人ども甲斐はなかりけり。さてあるべきにあらざれば、太左衞門はいぶかりながら、件の包を釋きて見るに、うちにはしろがね百匁ばかりと錢十六文ありて、一通の手簡を添へたり。封皮を析きてその書を見るに、
十とせあまりさきつころ、やつがれ困窮至極して、せんすべのなきまゝに、膽太くも惡心起りて、觀音院の使と僞り、當御店にて銀百匁を騙りとり候ひき。こゝをもて火急なる艱苦をみづから救ふものから、かへり見れば罪いとおもくて、身を容るゝ處なし。よりてとし來力を竭して、やゝ本銀をとゝのへたれば、その封賃を相添へて、けふなん返し奉る〔國法にて役人百匁每に銀を包みて一封とし、印を押して行はしむるに、封賃十六文を取ることゝぞ。是則紙の費に充るといふ。よりてその十六文を添へたるなり〕。ふりにし罪をゆるされなば、かの洪恩を忘るゝときなく、死にかへるまで幸ひならん。利銀はなほのちのちに償ひまゐらすべきになん。あなかしこ。
とばかりに、さすがに名氏をしるさねども、あるじはさらなり、小もの等までこの文に就き、その意を得て感嘆せぬはなかりけり。同鄕の人中澤氏〔名は儉〕、今茲〔文政乙酉〕正月十一日、卽願寺といふ梵刹にて太左衞門にあひし折、彼の顚末をうち聞きて、件の手簡を見てけるに、手迹もその書ざまもいといたう拙なければ、さゝやかなる民などのわざなるべしと思ふといへり。折から尾張の人の篆刻をもて遊歷したるが、故鄕へ歸ると聞えしかば、そがうまのはなむけにとて、件の趣を綴りたる漢文あり。この夏六月、聖堂の諸生石田氏〔名は煥〕江戸よりかへりて、舊故を訪ひし日、松任の驛なる友人木邨子鵠の宿所にて、中澤氏の紀事を閱して、感嘆大かたならざれども、惜むらくはその文侏儒なり、よりて綴りかへにきといふ。漢文亦一編あり。
且編末の評に云、嗚呼是一人之身、爲非義則愚夫猶惡之、及其悔非改過、則君子亦稱之。書所謂、惟聖不念作狂、狂克念作聖。一念之發、其可不愼哉。孔子曰、過勿憚改。孟子曰、人能知耻則無耻。信哉。夫人不知耻、則非義暴戾無所不爲。苟能知耻、則立身行道、豈難爲哉。於是知、國家仁政之效、有以使民遷善而不自知者。孔子所謂有耻且格者、可徵哉。
予はその文の巧拙に拘れるにあらねども、只勸懲を旨として、蒼隷農夫もこゝろえ易き假名ぶみにしつるのみ。さばれその事のはじめ終りを審に傳へざりしは、記者の漢文に做ふたる筆のまはらぬ故なるべし〔銀を騙略せられし時の形勢、後に銀を返しくれし時國主に訴へたるか否の事、原文にもれたり〕。
注
- 写本の位置
- 写本は3172の38カット目左ページから40カット目左ページの冒頭まで。38カット目左ページの冒頭に「騙兒悔非自新」の題があり、40カット目左ページの第二行の割注で終わる。同じページから次の話「破風山の龜松が孝勇」が始まる。署名はなく、目録に琴嶺舎とある。
- 注記
- 題の「騙兒悔非自新」には写本に返り点と送り仮名がある。原文では返り点を省いた。「舖」の脇に「ミセ」、「騙」の脇に「カタ」、「當御店」の脇に「ソノミタナ」の振り仮名があり、外した。
- 校合
- 「艱苦」は写本の読み。活字本系は「類苦」とする。「封賃」は写本の読みで二か所とも同じ。活字本系は「封貨」とする。「この夏六月」は写本の読みで、活字本系は「六月」を欠く。「侏儒」は写本の読みで、活字本系は「侏𠌯」とする。いずれも半ページの画像で読み、原寸では確かめていない。
- 注記
- 「觀音院の使と僞り」の「と」は朱で補入されている。編末の評の漢文には朱で訓点が添えられている。原文では訓点を省き、句読点を補った。
- 注記
- 「名は儉」「文政乙酉」「名は煥」と「國法にて」以下、「銀を騙略せられし時」以下は写本で小字二行の割注。〔 〕に入れた。
- 注記
- 「枯木橋」「淺野川」「卯辰山觀音院」「卽願寺」「松任」はいずれも金沢とその近郊の地名。「中澤儉」「石田煥」「木邨子鵠」は人物未確認。「聖堂」は湯島聖堂の昌平坂学問所。「書所謂」以下は書経多方篇の句、「過勿憚改」は論語学而篇、「人能知耻」は孟子尽心篇、「有耻且格」は論語為政篇に基づく。「蒼隷」は下役人と解した。いずれも雲亭の推定で未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲