賀茂村の坂迎
読書室で開く(原典画像・関連作品・自分の書架)
兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十二集 第16話 / 客員 青李庵 角鹿桃窓
伊勢参りの帰りを迎える京の坂迎えの風習と、上賀茂の一団が鞍馬口の乞食の子を叩いて八十人と乱闘になった事件。
本文 現代語訳
乙酉抄月兎園納会 京 角鹿比豆流
乙酉抄月兎園納会 京 角鹿比豆流
「伊勢太神宮の広前に太々神楽捧げ奉る」とて、かの御社に春ごと参詣する事、六十六国に残る処もなし。都の町々、近き村里、老いたるも若きもかたらひつつ、二十三十、あるは百にも満てる人の、願はて家に帰る日、家族うから、親しきかぎり、逢坂山の「水うまや」に集ひ、待酒汲みかはし宴をなす。是を「坂迎」といふ。ここより家までのかへるさ、迎への人と共に謡ひつれて、都の町くだりさわぎ行く事引きもきらず。こをみる人大路に立ちつづけり。三月二十一日、上賀茂の一群、松林の加茂塘をすぐるに、鞍馬口の乞食の児ら出でて銭を乞ふ事頻りなり。加茂村の百姓、「さか迎」の日、「唐板」といふ菓子二つづつあたへ、また人数ここらなれば、菓子の代に「あし」一筋あたふるが古き例なりとかや。酒に酔ひしれたる若人戯れて、何のわいためもなく、叱りさいなみ、子らが頭を叩けり。かれらが事なれば、やがて「わ」と泣きて、「賀茂もの、しか叩きたり」と告げしかば、折から御影供とて乞児も酒飲みゐたるが、やがてはやりかに走り出でて、六七人追ひ来たりてののしる。双方酒力を借りて、いとどかしましく、かたゐ追々はせ集まり、八十人にもおよべり。「賀茂のやつら一人もかへさじ」とて、礫石雨の如く投げ出だして、おめき叫ぶほど、五六十人の賀茂人すべき様なく、旅脇差ぬき出だして打ち払ひなどするほどに、刀底に損ぜし者、礫にて痛められたる人も多く、相引きに引きたり。後の日、鞍馬口の小屋の頭ども、「不潔なる者ども所を追ひ放つべき」よしにて詫びたれど、「賀茂がたも狂水におかされて、まさなき事やありけん、めでたく神詣の帰るさなれば、ただおだやかなれ」とて事はすみたりと、三谷五雲が物語りけると、荷田の信美大人の口づからを記し侍るなりけり。
「伊勢太神宮の広前に太々神楽捧げ奉る」と言って、あのお社へ毎春参詣することは、六十六国に残る所もないほどである。都の町々や近隣の村里で、老いも若きも誘い合い、二十人、三十人、あるいは百人にも達する人々が、祈願を終えて家に帰る日、家族や親族、親しい者たちすべてが逢坂山の「水うまや」に集まり、待ち酒を酌み交わして宴を開く。これを「坂迎」と言う。ここから家までの帰り道、出迎えの人々と共に声を合わせて謡い連ね、都の町を下りながら賑やかに騒ぎ立てて進んで行くことが引きも切らない。これを見る人々が大通りに立ち並んでいる。三月二十一日、上賀茂の一行が松林の加茂塘を通り過ぎるときに、鞍馬口の乞食の子供たちが出てきて、しきりに銭を乞うた。加茂村の百姓は、「さか迎」の日に「唐板」という菓子を二つずつ与え、また人数が大勢であれば、菓子の代わりに「あし」を一筋与えるのが古くからの例だということである。酒に酔いしれた若者がふざけて、何の分別もなく叱りさいなみ、子供たちの頭を叩いた。子供たちのことであるから、すぐに「わあ」と泣いて、「賀茂の者が、このように叩いた」と告げ口したところ、折しも御影供ということで乞食たちも酒を飲んでいたが、たちまち血気にはやって走り出てきて、六、七人が追いかけてきて罵った。双方が酒の勢いを借りて、ますますやかましくなり、乞食たちが次々と駆け集まって八十人にも及んだ。「賀茂の奴らを一人も帰すまい」と言って、小石を雨のように投げつけ、わめき叫ぶので、五、六十人の賀茂の人々はなすすべもなく、旅脇差を抜き放って打ち払うなどするうちに、刀で傷を負った者や小石で痛めつけられた人も多く出て、相引きとなって引き揚げた。後日、鞍馬口の小屋頭たちが、「不潔な者どもをこの地から追放する所存である」という旨で謝罪したが、「賀茂の方も酒に酔わされて、よろしくないことがあったのだろう。めでたい神詣での帰り道なのだから、ただ穏便に済ませよ」ということで落着した、と三谷五雲が語ったという話を、荷田の信美大人の口から直接聞いたまま書き留めたのである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
乙酉抄月兎園納會 京 角鹿比豆流
賀茂村の坂迎ひ
伊勢太神宮の廣前に太々神樂捧奉るとて、かの御社に春每參詣する事、六十六國に殘る處もなし。都の町々、近き村里、老たるも若きもかたらひつゝ、二十三十、あるは百にも滿てる人の、願はて家に歸る日、家族うから、したしきかぎり、逢坂山の水うまやに集ひ、待酒汲かはし宴をなす。是を坂迎といふ。こゝより家までのかへるさ、迎の人と共に謠ひつれて、都の町くだりさわぎ行事引もきらず。こをみる人大路に立ちつゞけり。三月廿一日、上賀茂の一群、松林の加茂塘をすぐるに、鞍馬口の乞食の兒等いでゝ錢を乞ふ事頻りなり。加茂村の百姓、さか迎の日、唐板といふ菓子二ツづゝあたへ、また人數こゝらなれば、菓子の代にあし一筋あたふるが古き例なりとかや。酒に醉ひしれたる若人戲れて、何のわいためもなく、叱りさいなみ、子等があたまを叩けり。かれらが事なれば、やがてわと泣きて、賀茂ものしかたゝきたりと告げしかば、折から御影供とて乞兒も酒のみゐたるが、やがてはやりかに走りいでゝ、六七人追ひ來りてのゝしる。雙方酒力を借りて、いとゞかしましく、かたゐ追々はせ集り、八十人にもおよべり。賀茂のやつら一人もかへさじとて、礫石雨の如く投出して、おめきさけぶほど、五六十人の賀茂人すべき樣なく、旅脇差ぬきいだして打はらひなどするほどに、刀底に損せしもの、礫にていためられたる人もおほく、相引に引きたり。後の日、鞍馬口の小屋の頭ども、不潔なるもの共所を追放つべきよしにて詫たれど、賀茂がたも狂水におかされて、まさなき事やありけん、めで度神詣の歸るさなれば、たゞおだやかなれとて事はすみたりと、三谷五雲が物語りけると、荷田の信美大人の口づからを志るし侍るなりけり。
注
- 写本の位置
- 写本は3172の45カット目左ページから47カット目右ページまで。45カット目左ページの冒頭に「乙酉抄月兎園納會 京 角鹿比豆流」の一行があり、次に「賀茂村の坂迎ひ」の題が立つ。47カット目右ページの末尾で「志るし侍るなりけり」と終わり、同じカットの左ページから次の話「希有の物好み」が始まる。
- 校合
- 冒頭の一行は写本では題の前に置かれ、この話と次の話の二篇を角鹿比豆流が納会に寄せたことを示す。活字本系は題の後に「京 角鹿比豆流」のみを記す。写本の順のまま原文の最初の段落にした。目録には「客編 青李庵」とある。
- 校合
- 「何のわいためもなく」「いとゞかしましく」「打はらひなどするほどに」「損せしもの」「三谷五雲」は写本の読み。活字本系は「何れのわいためもなく」「いとゞかしましな」「こゝはしひなどするほどに」「損れしもの」「三谷吾雲」とする。いずれも半ページの画像で読み、原寸では確かめていない。
- 注記
- 「旅脇差」の「差」の脇に朱の訂正がある。
- 注記
- 「太々神樂」は伊勢参宮の際に奉納する神楽。「水うまや」は逢坂山の走井の茶屋と解した。「加茂塘」は賀茂川の堤。「唐板」は上賀茂の名物の煎餅。「あし」は銭の意と解した。「御影供」は三月二十一日の弘法大師の忌日の法会。「三谷五雲」「荷田の信美」は京都の人で、荷田信美は伏見稲荷の社家の国学者と解した。「角鹿比豆流」は青李庵角鹿桃窓。いずれも雲亭の推定で未確認。
- 注記
- 「抄月」は十二月の異称と解した。
AI試訳 / 専門家未校閲