雲亭 日本古典図書室

武士は食わねど高楊枝…って、マジ?

飯は同僚と交代で炊く。ときには蕎麦や鍋物を食べに出かけ、酒を飲んで叱られる。幕末の武士・酒井伴四郎の日記には、そんな江戸暮らしが残っています。

飯や汁物を載せた膳を前に、叔父と話す若い武士
画像はイメージです

本文の小さな数字を押すと、根拠にした原文や参考文献を読めます。

同僚の炊く飯は粥のようで、自分の飯は固い。そんな愚痴まで残る日記を開くと、遠い時代の人の暮らしが急に近づきます。

01江戸へ来た武士の自炊生活

参勤交代によって、大名やその家臣たちが江戸と国元を行き来していた時代です。紀州藩の武士・酒井伴四郎も、万延元年(1860)に江戸勤番を命じられました。当時、数え年で27歳。妻と幼い娘を和歌山に残し、叔父や同僚と赤坂の藩屋敷で暮らします。今でいう単身赴任に近い生活でした。1

伴四郎は、戦いに備える大番組に所属していました。江戸では叔父・宇治田平三の指導で、殿様の装束を整える「衣紋(えもん)」の稽古をします。叔父の役職は「御膳奉行格奥詰衣紋方」。難しい名前ですが、ここでは、殿様の装束に関わる仕事を代々受け継いだ家の人、と押さえておきましょう。1

では、収入はどのくらいだったのでしょう。博物館の報告書によると、叔父の禄高は25石で、一年間に34両を受け取っていました。伴四郎の日記には「一年詰三十九両」とあります。同報告書は、伴四郎の禄高も叔父と同程度か、それ以上だったと推定しています。「石」で表す禄高と、実際に受け取る「両」の額は分けて考える必要があります。現在の年収にそのまま置き換えられる数字ではありません。1

江戸で暮らす費用だけでなく、国元に残した家族の生活もあります。そんな立場の若い武士が、食事を作り、ときには外食を楽しむ。日記の195日間は、その暮らしの一部を伝えています。1

飯は同僚の直助と一日交代で炊き、おかずはそれぞれ用意しました。10月29日には、直助の飯は粥のようで、自分の飯は固いという愚痴も出てきます。日々の炊事の様子が伝わる場面です。1

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02蕎麦、すし、鍋物。外食もする

博物館の記事によると、伴四郎は蕎麦やすし、どじょう鍋、あなご鍋、豚鍋なども食べていました。酒を飲む日もあり、10月25日にはうなぎ屋で酔って叔父に叱られました。1

普段の伴四郎は倹約家です。8月9日の日記には、倹約ぶりを叔父に叱られたと書いています。それでも、ときには奮発して外食や酒を楽しむ。いつも質素一辺倒ではないところに、伴四郎の人間味が感じられます。2

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03品数が少ないことと、粗末なこと

江戸時代の食卓を見るには、肉を食べることへの抵抗感も知っておきたいところです。とくに牛や馬など、四つ足の獣の肉は避けるべきものとされていました。背景には、仏教の「生き物を殺すことを戒める」という考えや、長く続いた肉食を避ける慣習がありました。[W05]

ただし、「江戸時代の人は肉を食べなかった」という意味ではありません。獣肉を体の養生のために食べる「薬食い」もあり、魚や鳥も食卓に上がりました。伴四郎が豚鍋を食べたという記録も、建前と実際の食生活が同じではなかったことを伝えています。[W05]

だからこそ、献立に何が使われていたのかを具体的に調べる意味があります。牛や豚の肉を日常的に食べる今の感覚で、昔の食事を「米と野菜だけだった」と想像してよいのでしょうか。魚や卵は動物性たんぱく質を含み、豆腐も大豆からたんぱく質をとれる食材です。

別の武士や大名の食事を調べた研究では、簡素な献立でも、豆腐、魚、卵などを使っていた例が紹介されています。一汁一菜や一汁二菜は、汁とおかずの品数を表す言葉です。品数だけで、食事の中身まで決めることはできません。3、4

ここで見てきたのは、紀州藩の大番組に属し、妻子を国元に残して江戸勤番をしていた伴四郎の食卓です。叔父のもとで衣紋の稽古をしながら、限られた収入で自炊し、ときには外食を楽しむ。殿様の食事とも、家族と国元で暮らす武士の食事とも違う、その立場から日記を読むと、献立の見え方も変わります。

飯、汁物、魚、漬物を載せた膳の写真
飯・汁・魚・漬物を組み合わせた膳の一例です。伴四郎自身の献立を再現したものではありません。

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04日記から見える、ひとりの暮らし

「武士は食わねど高楊枝」は、苦しくても気位を保つというたとえです。武士が毎日食べていなかったという意味ではありません。

伴四郎の日記では、献立だけでなく、一緒に暮らす人への愚痴や、叱られた出来事も食卓のそばにあります。江戸の食生活を知る入口として、その一人分の暮らしを読んでみましょう。

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酒井伴四郎日記(表題「江戸江発足日記帳」)
作者:酒井伴四郎(作成者名は酒井彰常)。翻刻は『東京都江戸東京博物館調査報告書』23に収録

原文(該当部分)

又予か倹約いたし候をおしかり被成候

直前の内容:叔父が腹をこわしているのに汁粉を食べに出かけ、伴四郎が止めても聞かなかった。

現代語訳

そのうえ、私が倹約しているのをお叱りになった。

訳の作成者は雲亭(AIによる試訳)。専門家の校閲は受けていない。

本文翻刻

ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。

原典の掲載ページを開く ↗

出典・訳について

2. 酒井伴四郎日記(表題「江戸江発足日記帳」)

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  • 作品名:酒井伴四郎日記(表題「江戸江発足日記帳」)
  • 著者・編者:酒井伴四郎(作成者名は酒井彰常)。翻刻は『東京都江戸東京博物館調査報告書』23に収録
  • 巻・章・話番号:万延元年8月9日の条
  • 採用した版・底本:『東京都江戸東京博物館調査報告書』23『酒井伴四郎日記 影印と翻刻』(2010年)の翻刻。原本は江戸東京博物館所蔵、資料番号 08001311
  • 翻刻提供元・URL:江戸東京博物館リポジトリ https://edo-tokyo-museum.repo.nii.ac.jp/records/2000546 (PDF)
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:PDF24頁、見出し「8月」。翻刻の印刷頁と原本の丁は未確認
  • 引用・再利用条件:未確認。リポジトリのページに利用条件の記載がなく、翻刻の引用条件は江戸東京博物館に確認していない

表記・訳の注記

  • 原文は公刊された翻刻に基づき、表記は変更していない。
  • 日付は旧暦の8月9日で、新暦の月日ではない
  • 「おしかり被成候」を「お叱りになった」と読む点は、雲亭の読みで、専門家の確認は受けていない
  • この記事では8月9日の一節を取り上げる。日記全体での語の出現回数は断定しない。

短い一文ですが、「予」は自分のこと、「候」は丁寧な言い方です。倹約を褒められるのではなく叱られるところに、叔父との関係ものぞきます。

わからない言葉は、共通の単語帳へ →

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出典と原典の画像

元の記録や研究を、自分の目で確かめられます。

原典の画像を開く

画像 I01 酒井伴四郎日記(『酒井伴四郎日記 影印と翻刻』所収の影印)

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江戸東京博物館(原本) / 『東京都江戸東京博物館調査報告書』23(2010年)の影印。原本画像のネット公開は未確認

資料の書誌

該当箇所の画像は未確認です。

画像 I02 『石城日記』全7巻(尾崎石城、文久元年から2年、忍藩)

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慶應義塾ミュージアム・コモンズ / 363画像。IIIFマニフェスト https://objecthub.keio.ac.jp/ja/koh_dl/manifest?id=12533&type=manifest_30 / 未選定

資料の書誌

該当箇所の画像は未確認です。

参考にした研究・関連文献

1. 論文 P01 酒井伴四郎日記について

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竹内誠、石山秀和 / 『東京都江戸東京博物館調査報告書』23(国文研DBでは誌著名「酒井伴四郎日記」) / 23、2010年3月31日 / 55-72

記事で参照した文献

国文研の書誌 | 本文掲載ページ

論文 P02 勤番武士の余暇と行楽 秋田藩士貝塚清直の江戸日記を事例に

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石山秀和 / 『東京都江戸東京博物館調査報告書』23(国文研DBでは誌著名「酒井伴四郎日記」) / 23、2010年3月31日 / 73-80

記事で参照した文献

国文研の書誌 | 本文掲載ページ

論文 P03 近世後期における江戸勤番武士の食生活 加賀藩を事例に

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仲泉剛 / 『加賀藩研究』 / 11号、2021年 / 1-15

記事で参照した文献

本文掲載ページ | 本文PDF

閲覧条件:無料

3. 論文 P04 日本の伝統的食事の形成と変化

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江原絢子 / 『日本食生活学会誌』 / 10巻4号、2000年 / 9-13

記事で参照した文献

本文掲載ページ

4. 論文 P05 真田幸弘の食事記録「御膳日記」(翻刻と解説)

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江原絢子 / 『会誌食文化研究』 / 9、2013年 / 76-68(原誌・J-STAGEの表記)

記事で参照した文献

本文掲載ページ

論文 P06 幕末下級武士の生活の実態 紀州藩一下士の日記を分析して

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島村妙子 / 『史苑』 / 32巻2号、1972年 / 未確認

関連文献(本文未確認)

書誌・DOI

参考 W01

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  • 題名:石城日記(全7巻)
  • 提供元:慶應義塾ミュージアム・コモンズ、Keio Object Hub
  • URL:https://objecthub.keio.ac.jp/ja/object/12533
  • 種類:所蔵館による資料解説。論文ではない
解釈と、まだ確かめられていないこと

日記の内容は、翻刻と江戸東京博物館の解説に基づきます。伴四郎個人の記録を、武士全体の食生活へ一般化していません。

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