食と暮らし / 平安
芋粥食べ放題に招待された男の末路
2026年10月17日更新
大好物を、お腹いっぱい食べてみたい。ところが、庭に山芋が積まれ、大釜がいくつも並ぶのを見るうちに、食欲が消えてしまいます。古典にも芥川龍之介の小説にもある「芋粥」の場面です。同じ出来事が、どんなふうに語り変えられたのでしょうか。
画像はイメージです芋粥を飽きるほど食べたい。五位のささやかな願いを聞いた利仁は、思いがけない方法でそれを叶えようとします。京から敦賀へ、話を追ってみましょう。
01芋粥を食べたい。その願いから敦賀へ
正月の宴の残りを侍たちが食べる席で、五位は芋粥を飲み飽きたいと口にします。それを聞いた利仁が、飲み飽きさせてあげたいと応じました。1、2
後日、利仁は五位を湯治に誘います。ところが、行き先は近場ではなく、越前の敦賀。道中でそのことを知った五位は驚きますが、二人はそのまま旅を続けます。1、2、3
翌朝、庭には山芋が積み上がり、大釜が並びます。十人余りの男たちが芋を削り、切っていく。その様子を見ていた五位は、芋粥を煮るのだと気づくと、食べる気がしなくなってしまいます。1、2
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02芋粥を食べられなくなった理由は?
二つの古典は、敦賀の朝の台所をくわしく書いています。山芋が積み上がり、大釜が並び、若い男たちが芋を刀で切る。それを見た五位は、芋粥を煮ているのだと気づいて「食ふべき心地為ず」(くふべきここちせず)、つまり食べる気がしなくなり、かえっていとわしくなった、とあります。続いて、金属の提(ひさげ)に汲んだ芋粥が出されます(今昔は銀の提です)。五位は一盛りさえ食べられません。1、2
古典は、調理の様子を見て食欲が失せたと語りますが、なぜそう感じたのかを詳しく説明しません。量に圧倒されたのか、願いが叶うと気持ちが変わるのか。読み手が考える余地があります。1、2
芥川はここに五位の心の動きを書き足しました。敦賀の夜、五位は朝を待ちかねながら、同時に「あまり早く芋粥にありつきたくない」と思います。願いがすぐ叶っては、何年も辛抱して待ったことが無駄に見えるからです。最後に五位は、芋粥に飽きたいという望みを大事に守っていた頃の自分を、「幸福な彼」と思い返します。3
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03同じ芋粥の話でも、結末が変わる
古典から芥川が残したのは、利仁が湯治に誘うと偽って五位を敦賀まで連れ出すこと、狐を使いに立てること、山積みの芋と大釜の朝の場面です。1、2、3 芥川が足したのは、軽く扱われる五位の暮らしと、待ち望む気持ちが先に冷める夜と、「幸福な彼」への回想です。3
古典の結末は違います。五位は一か月ほど敦賀で楽しく過ごし、帰りには装束、皮籠に入れた衣類、鞍を置いた馬まで贈られて、豊かになって京へ上ったそうです。衣類の中身は、今昔では綾、絹、綿など、宇治拾遺では八丈の綿衣と、二話で違います。1、2 芥川は、狐が芋粥をご馳走になる場面のあと、五位の大きなくしゃみで終えています。3
「夢は叶うときより、願い続けているときがいちばん幸せ」という読みは、芥川の小説への読みとして成り立ちます。古典の二話からも願いと満足について考えられますが、芥川の小説ではその心の動きが、よりはっきり言葉にされています。「末路」と呼ぶなら、古典の五位の末路は、贈り物を持って京へ戻ることでした。1、2、3
出来事だけなら、三つとも「大好物を用意されても、食べられなかった」話です。けれども、古典は思いがけない厚遇を受けて帰るところまで語り、芥川は願いを抱いていた頃を懐かしむ五位に目を向けます。何が起きたかだけでなく、どこで話を終えるかによっても、読後に残るものは変わるのです。
一古典の二話の五位
長年仕えて立場を得た侍。芋粥への願いを口にした場面で周りが笑った記述はないが、語り手は五位の身なりを笑いまじりに描く。食べられなくなった理由は、芋を切って煮る様子を見て食べる気が失せたこと。
二古典の二話の結末
五位は敦賀で一か月ほど楽しく過ごし、装束や衣類や馬を贈られて京へ戻る。
三芥川「芋粥」
五位は周囲に軽く扱われ続ける。敦賀の夜に、願いが叶うことを恐れる気持ちが生まれ、最後は「幸福な彼」だった頃を思い返してくしゃみをする。
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04古典と芥川で、五位の描かれ方は違う?
『今昔物語集』は、この人物を「年来に成て所得たる五位の侍」と紹介します。長年仕えて、ひとかどの立場を得た五位の侍、という意味にとれます。1
正月の大饗の残りを侍たちが食べる席で、五位は芋粥をすすって、ああ、どうにかして芋粥に飽きたいものだ、と言います。利仁が「飲み飽きさせてさしあげたい」と応じると、五位は「どんなにうれしいことでしょう」と答え、その場はそれきりになります。この場面に、周りが笑ったという書き込みはありません。1、2
芥川の小説では事情が違います。五位は同僚にも下役にも軽く扱われ、通りがかりの子どもからは「鼻赤め」と呼ばれる。利仁が誘う声は「軽蔑と憐憫」を帯びていて、五位の返事を聞いた一同は笑い出します。3 富山大学の研究は、この「軽蔑と憐憫」と「一同の嘲弄」は典拠にないと指摘しています。4
古典に笑いが出る場面は、一つではありません。敦賀で五位が一盛りも食べられず「もう飽きました」と言うと、人々は大いに笑い、「お客人のおかげで芋粥が食べられた」などと、からかい混じりに言い合います。1、2 同じ研究は、この笑いを必ずしも嘲笑ではないとし、芥川がこの笑いを物語の前半に広げたと見ています。4
道中にも笑いがあります。今昔では、湯治と聞いて出かけた五位が敦賀行きだと知って「ひどく無茶な人だ」と文句を言うと、利仁は笑って「私一人がいれば千人と思いなさい」と答え、敦賀に着けば舅の有仁も五位をからかうのです。語り手も、五位の薄い装束や破れた指貫を描いたあとで「可咲けれども」と書き、宇治拾遺にも「おかしけれども」とあります。1、2 芥川は、こうした古典の描写をふくらませて、五位が周囲に軽く扱われる冒頭を作りました。3
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05そもそも、芋粥はどんな料理?
「芋」といっても、サツマイモやジャガイモではありません。自然薯料理店「といろ」は、芋粥の芋を、日本の山に自生する自然薯として紹介しています。自然薯も長芋も「山芋」と呼ばれますが、同じ種類ではありません。この記事で紹介する富山大学の再現実験にも、自然薯が使われています。「といろ」の「平安貴族と自然薯」を読む 4
辞書には、芋粥はヤマノイモを薄く切り、アマズラの汁で炊いた粥状のもので、昔は宮中の大饗などに用いた、とあります。5 芥川も、芋粥を「無上の佳味」で、天皇の食膳にさえ出されたと書いています。3
アマズラ(甘葛)は、辞書では、秋から冬につる草の茎を切って出る汁を煮詰めた甘味料とされ、そのつる草はアマチャヅルのことだという説も載っています。5 一方、富山大学の研究が従う石橋顕の説では、アマチャヅルは江戸時代に生じた混同で、正体はナツヅタの樹液です。4
煮詰める前の樹液は「味煎(みせん)」、煮詰めて日持ちするようにしたものが「甘葛煎」と呼ばれます。4 古典の二話は、釜に入れた水のように見えたものが味煎だった、と書いています。1、2
富山大学の論文が引く『厨事類記』には、二通りの作り方が載っています。薄く切った芋を沸かした味煎に入れる方法と、甘葛煎を使う場合に、甘葛煎1に水2ほどを加えて煮る方法です。4
芋粥ができるまで:①自然薯を薄く切る → ②甘葛の樹液を煮詰める → ③芋を加えて煮る。富山大学の再現実験をもとにした工程図です。画像はイメージです。目次へ戻る ↑
06実際に作ってみたら、どんな味だった?
冬のはじめ、富山大学の学生たちが、ナツヅタの樹液で芋粥を作りました。集めたツタは23キログラムで、取れた樹液は280ミリリットル、糖度は約3度でした。これを煮詰めて糖度が20度を超えたところへ、ジネンジョの薄切りを入れて煮ています。4
できあがったのは椀に一杯にも満たない量で、全員がひと掬いずつ味見しました。味は「雑味のない上品な味」と評され、残りは「もっと食べたい」という参加者にすぐ食べ尽くされたそうです。4
比べるために、長芋に砂糖水やメープルシロップを合わせて作った試作では、「3口で飽きた」「食べ切るのがしんどい」といった感想が出ています。ジネンジョに替えると、多く食べても飽きにくいという感想が多く聞かれました。4
論文は、芋粥は飽きにくい上品な味で、飽きるまで食べたいという願いは自然なものだったと論じます。五位が食べられなくなった場面は、起こりえない量を目の当たりにした驚きの表れだと解釈しています。4
量についても触れています。石橋顕は、五位のために使った味煎の量を控えめに五石として、ナツヅタ約3000本分、金額で1000万円を超えると見積もりました。学生たちは20人で12時間かけて、ごく少量しか作れませんでした。物語の分量は、現実にはありえない誇張だと論文は見ています。4
家で試すなら、長芋で
GoodsPress Webの「再現!文学ごはん」では、手に入りやすい長芋を使い、甘葛の代わりにメープルシロップと砂糖で作っています。
- 長芋を薄くそぎ切りにする。
- 鍋に水を沸かし、メープルシロップと砂糖で好みの甘さにする。
- 長芋を加え、歯ごたえが残る程度に短時間煮る。
自然薯と甘葛を使う再現実験とは材料が違う、現代のアレンジです。
写真付きの作り方を読む:GoodsPress Web「[再現!文学ごはん]芥川龍之介『芋粥』の『芋粥』」(くぼきひろこ、2016年12月2日)
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『今昔物語集』巻26第17話「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語 第十七」
作者:作者不詳(説話集)
原文(該当部分)
其の殿に、年来に成て所得たる五位の侍有けり。
利仁、「いで、飲飽せ奉らばや」と云へば、五位、「何に喜う侍む」と云て止ぬ。
(中略)
青鈍の指貫の裾壊たるに、(中略)狩衣の後は、帯に引喎られたるを引くも、疎はず喎乍らあれば、可咲けれども、五位を前に立てて、共に馬に乗て、川原様に打出て行く。
(中略)
「実には敦賀へ将奉る也」と云へば、五位、「糸物狂はしかりける人哉。(中略)」と云へば、利仁、疵咲て、「己れ一人が侍るは、千人と思せ」と云ぞ、理なるや。
(中略)
舅も咲て、「希有の事也」とて、(中略)舅「安き物にも飽せ給はざりける哉」とて戯るれば、
(中略)
亦、若き男共、十余人許出来て、袪より手を出して、薄き刀の長やかなるを以て、此の署預を削つつ撫切に切る。「早う、署預粥を煮る也けり」と見に、食ふべき心地為ず。返ては踈しく成ぬ。
(中略)
「参らせよ」とて、大きなる土器して、銀の提の斗納許なる、三つ四つ許に汲入て持来たるに、一盛だに否食はで、「飽にたり」と云へば、極く咲て、集居て、「客人の御徳に、署預食」など、云ひ嘲り合へり。
(中略)
此て五位、一月許有に、万づ楽き事限無し。然て、上りけるに、仮納の装束、数下調へて渡しけり。亦、綾・絹・綿など、皮子数に入て取せたりけり。
(中略)
亦、吉馬に鞍置て、手綱など加へて取せければ、皆得、富て上にけり。実に、所に付て、年来に成て、免されたる者は、此る事なむ自然ら有けるとなむ語り伝へたるとや。
現代語訳
その殿には、長年仕えて、ひとかどの立場を得た五位の侍がいた。
利仁が「さあ、飲み飽きさせてさしあげたいものだ」と言うと、五位は「どんなにうれしいことでしょう」と答えて、それきりになった。
(中略)
(五位は)青鈍色の指貫の裾が破れたのを着て、(中略)狩衣の後ろが帯に引きゆがめられているのを引き直そうともせず、ゆがんだままでいるので、おかしいけれども、五位を前に立てて、ともに馬に乗って、川原のほうへ出て行く。
(中略)
「実は敦賀へお連れするのです」と言うと、五位は「ひどく無茶な人ですね。(中略)」と言うので、利仁は笑って、「私一人がおりますのは、千人がいると思いなさい」と言う。もっともなことだ。
(中略)
舅も笑って「珍しいことだ」と言い、(中略)舅は「たやすいものにも飽かせてもらえなかったのですね」と言ってからかうので、
(中略)
また、若い男たちが十人余り出て来て、袖から手を出して、薄くて長い刀でこの芋を削っては切り刻む。「なるほど、芋粥を煮るのだったか」と見ているうちに、食べる気がしなくなった。かえって、いとわしくなった。
(中略)
「差し上げよ」と言って、大きな土器を用意し、銀の提の一斗ほども入るものに三、四杯ほど汲み入れて持って来たところ、一盛りも食べられず、「もう飽きました」と言うと、人々はひどく笑い、集まって「お客人のおかげで芋粥が食べられた」などと、からかい合った。
(中略)
こうして五位は一か月ほど、何もかも楽しく過ごした。帰るときには、装束を数多く用意して渡し、綾、絹、綿などは皮籠に入れて与えた。
(中略)
また、よい馬に鞍を置き、手綱もつけて与えたので、五位はすべてをもらい、豊かになって京へ上った。まことに、場所に応じて、長年勤めて許された者には、こういうことが自然とあるものだと、語り伝えているということである。
本文翻刻
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出典・訳について
1. 『今昔物語集』巻26第17話「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語 第十七」
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- 作品名:『今昔物語集』巻26第17話「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語 第十七」
- 著者・編者:作者不詳(説話集)
- 巻・章・話番号:巻26 第17話
- 採用した版・底本:やたがらすナビ「やたナビTEXT」の「攷証今昔物語集(本文)」電子テキスト。底本の刊行情報はページに明記がなく、脚注に「底本」「頭注」とあるのみ
- 翻刻提供元・URL:やたがらすナビ(最終更新 2015-01-03)http://yatanavi.org/text/k_konjaku/k_konjaku26-17
- 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:該当なし(電子テキスト。底本画像との照合はしていない)
- 引用・再利用条件:同ページに「特に明示されていない限り、本Wikiの内容は次のライセンスに従います:CC Attribution-Share Alike 4.0 International」とある。2026-10-09 に確認。作成者表示:やたがらすナビ、Satoshi Nakagawa(最終更新者)。ライセンス:CC BY-SA 4.0(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/ )。この原文を引いた部分と、そこから起こした現代語訳も、CC BY-SA 4.0 で継承する
表記・訳の注記
原文は電子テキストのまま。ルビ、脚注番号、□□(底本の欠字)は省いた。「署預」は山芋のこと。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。「可咲けれども」「疵咲て」は笑う描写として訳した。「仮納の装束」の語釈と末尾の「免されたる者」を含む一文の解釈は、校訂本の注釈との照合が済んでいないため暫定。記事本文の比較では、五位が贈り物を受け取って帰る出来事を取り上げた。
『今昔物語集』の「食ふべき心地為ず」(くふべきここちせず。現代の発音では「くうべきここちせず」)は「食べる気がしない」、「踈しく成ぬ」は「いとわしくなった」という意味です。五位が量に圧倒されたのか、においに参ったのかは、この一文からは分かりません。同じ場面を芥川が長い心理描写にしたことと見比べて、五位の気持ちをどう読むか考えてみてください。
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出典と原典の画像
元の記録や研究を、自分の目で確かめられます。
ほかの一次資料
2. 『宇治拾遺物語』巻第一「利仁将軍暑預粥事」(底本の題。一般に「利仁芋粥の事」、第18話)
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原文(該当部分)
いみじうみぐるし。おかしけれどもさきにたてゝ。われも人も馬にのりて河原ざまにうち出ぬ。
(中略)
うすらかなる刀のながやかなるもたるが十余人ばかりいできて。このいもをむきつゝすきゞりにきれば。はやく芋粥にる也けりとみるに。くふべき心ちもせずかへりてはうとましく成にけり。
(中略)
まいらせよとて先大なるかはらけぐしてかねの提の一斗ばかり入ぬべきに三四に入て。(中略)あきて一もりをだにえくはず。あきにたりといへば。いみじうわらひてあつまりてゐて。客人殿の御とくにいもがゆくひつといひあへり。
(中略)
けおさめのさうぞくどもあまた具たり。又たゞの八丈わたぎぬなど皮子どもに入てとらせ。(中略)馬にくらをきながらとらせてこそをくりけれ。きう者なれども所につけて年比になりてゆるされたる物は。さるものゝをのづからあるなりけり。
現代語訳
ひどく見苦しい。おかしいけれども、五位を先に立てて、自分も人も馬に乗って、河原のほうへ出て行った。
(中略)
薄い刀の長いものを持った男が十人余り出て来て、この芋を剥いては切り刻むので、「なるほど、芋粥を煮るのだったか」と見ているうちに、食べる気もしなくなり、かえっていとわしくなった。
(中略)
「差し上げよ」と言って、まず大きな土器を用意して、金属の提の一斗ほども入るものに三、四杯入れて。(中略)飽きて一盛りさえ食べられない。「飽きました」と言うと、人々はひどく笑って集まり、「お客人のおかげで芋粥を食べた」と言い合った。
(中略)
仮納の装束を数多く揃えた。また、ただの八丈の綿衣などを皮籠に入れて与え、(中略)馬に鞍を置いたまま与えて送り出した。古参の者であっても、その場に応じて長年勤めて許された者には、そういうことが自然とあるものだ。
本文翻刻
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出典・訳について
表記・訳の注記
句点は、読みやすくするために翻刻者が補ったもの。「芋粥にる也けり」は「煮る」の「煮」が落ちた形に見えるが、翻刻のまま引いた。字体は翻刻者が常用漢字に直している。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳。「きう者」は「旧者」で古参の者と解した。
3. 「芋粥」
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原文(該当部分)
芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗の君の食膳にさへ、上せられた。
(中略)
あまり早く芋粥にありつきたくないと云ふ心もちで、それが意地悪く、思量の中心を離れない。
(中略)
しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。
現代語訳
芋粥とは、山の芋を切って入れ、甘葛の汁で煮た粥のことである。当時これは比べるもののない美味とされ、天皇の食膳にさえ出された。
(中略)
あまり早く芋粥にありつきたくないという気持ちで、それが意地悪く、考えの中心から離れない。
(中略)
しかし同時に、芋粥に飽きたいという望みをただ一人大事に守っていた、幸福な彼でもある。
本文翻刻
ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。
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出典・訳について
- 作品名:「芋粥」
- 著者・編者:芥川龍之介
- 巻・章・話番号:短編小説。初出『新小説』1916(大正5)年9月
- 採用した版・底本:青空文庫の電子テキスト(入力 j.utiyama、校正 吉田亜津美、2013-04-28 修正)。底本は『現代日本文学大系43 芥川龍之介集』筑摩書房、1968(昭和43)年8月25日初版第1刷
- 翻刻提供元・URL:青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html
- 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:該当なし(電子テキスト)。作品の末尾に「大正五年八月」とある
- 引用・再利用条件:著者の没後に著作権保護期間が満了した作品を収める青空文庫の収録作品。2026-10-09 に確認
表記・訳の注記
原文は旧仮名遣いのまま。ルビは省いた。「万乗の君」は天皇のこと。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳。
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該当なし。今回は電子テキストの翻刻で本文を確かめ、画像は使っていない。
参考にした研究・関連文献
4. 論文 P01 ナツヅタの樹液による芋粥再現実験
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関戸菜々子、姫野諒太郎、早瀬裕也、小谷瑛輔 / 群峰(富山文学の会) / 5号、2019年5月(リポジトリの公開日は 2019-05-22) / 122〜142頁
記事で参照した文献
書誌・DOI | 本文掲載ページ | 本文PDF
論文 P02 『芋粥』の計量テキスト分析
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本文掲載ページ | 本文PDF
論文 P03 【教材研究】芥川龍之介『芋粥』の原話を読む―『今昔物語集』巻二十六第十七話「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語」との位相
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論文以外の参考資料
解釈と、まだ確かめられていないこと
古典の本文は、電子テキストの翻刻を底本にしています。『今昔物語集』の□□は、底本で名前が伏せられている箇所です。『宇治拾遺物語』は国史大系本の翻刻で、句点は読みやすくするために翻刻者が補ったものです。現代語訳はいずれもAIの試訳で、専門家の校閲を受けていません。再現実験は学生のチームによる1回の試みで、樹液の糖度や量が平安時代の甘葛煎と同じとは限りません。味の評価も参加者の感想です。石橋顕の見積もりは、富山大学の論文が引用する形で紹介しました。
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