事件と人物 / 平安
伝説の美女・小野小町、すっぴん情報ゼロ
2026年10月17日更新
「小町」といえば、美しい人。小野小町は、クレオパトラや楊貴妃と並ぶ「世界三大美女」とも呼ばれます。でも、千年以上前の歌人の顔を、誰がどのように伝えたのでしょう。歌の評判と、後から育った美女伝説を分けてたどります。
画像はイメージです明治40年(1907)、アメリカの新聞社が世界美人コンテストを企画し、日本の予選では、小倉市長の娘で学習院女学部の学生だった末広ヒロ子が1位になりました。この人は「小倉小町」と呼ばれていたそうです。「小町」が美人を指す言葉として通じていた背景には、小野小町の美女伝説があります。この美女伝説は、どこまで確かな資料に支えられているのでしょうか。[P02]
01小町に近い時代の記録に、小町の顔は出てくる?
小町は9世紀の歌人で、『古今和歌集』に18首の歌が入っています。それでも、生没年や出身地、宮仕えをしていたかどうかといった基本のことは、信頼できる記録では分かっていません。[P01]
分かっているのは、歌をやり取りした相手です。『古今和歌集』には、安倍清行、小野貞樹、文屋康秀と小町が歌を贈り合った記録があります。三人とも9世紀の半ばから後半に活躍した、身分の高くない官人で、小町も同じような立場の人だったと考えられています。[P01]
『古今和歌集』の序と、研究が取り上げるこれらの贈答の歌には、小町の顔かたちを述べた言葉がありません。平安時代の貴族の女性は、人前で顔を見せる機会がめったになかったとも言われます。美しさは、髪の豊かさや服装、振る舞いのように、離れた場所からも伝わるもので判断されていたようです。[S01、P01、W01]
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02古今和歌集の序は、小町をどう評した?
『古今和歌集』には、仮名で書かれた序と、漢文で書かれた序があります。仮名序が取り上げる歌人は六人で、小町については、昔の衣通姫の系統だと述べています。続く言葉は「あはれなるやうにて、つよからず」で、しみじみとした趣があって強くない、という評です。[S01、I01]
評は、このあと「よきをうなのなやめる所あるににたり」と続きます。女性の姿に歌の趣をたとえた言葉です。「なやむ」は、古語では病気で苦しむ意味でも使います。ここでは「美しい女性が病で弱っている姿」に取って訳しました。「よき女」を身分の高い女性と読む説もあります。いずれにしても、評しているのは小町の顔かたちではなく、歌の趣です。[S01]
漢文の真名序にも同じ評があります。小町の歌は衣通姫の系統だが、なまめかしくて力強さがなく、病んだ婦人がおしろいをつけたようだ、という内容です。[S02、I02]
仮名序の評は、六人とも人や物にたとえる形をとっています。遍昭の歌は、絵に描いた女性を見て心を動かすようなもの、康秀の歌は、商人が上等な着物を着たようなもの、という具合です。小町の評も、この形の一つです。[S01]
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03美女と零落の物語は、いつ作られた?
小町の伝記に触れた現存する最も古い資料は、11世紀後半の『三十六人歌仙伝』です。それによると、小町は出羽国の郡司の娘とも、小野篁の娘ともいわれ、二つの説が食い違っています。研究は、この時点で確かな記録がすでに失われていたと考えています。[P01]
伝記の空白は、想像で埋められていきました。藤原仲実の作とされる『古今集目録』は、ある説として小町の母を「衣通姫」と書いています。服部友香は、これを仮名序の「衣通姫の流」という評に拠ったものだろうと考えています。仮名序の評は歌風についての言葉で、衣通姫は古代の人物ですから、小町と親子ではありえません。[P01]
12世紀になると、小町が死んで野ざらしの髑髏になったという話が、歌学書や説話集に出てきます。『玉造小町子壮衰書』という漢文も、小町の晩年の貧しさを伝える資料と見なされるようになりました。この漢文の語り手の老女は、若いころは美しく、ぜいたくに暮らし、のちに家が没落して貧しくなったと話します。[P01]
12世紀の『袋草紙』は、この漢文の「小町」は小野小町とは別人かもしれない、と疑っています。ところが、12世紀後半の『宝物集』は両者を同じ人物として語り、以後はそう扱われるようになりました。美貌の女性が落ちぶれる筋は、別の作品の人物と混ざって広がった面が大きいと、研究者は指摘しています。[P01、P02]
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04「小町」は、いつから美人の呼び名になった?
中世には、小町を題材にした能が作られました。草子洗小町、通小町、卒都婆小町、関寺小町、鸚鵡小町、山本小町、清水小町の七つで、「七小町」と呼ばれます。[P01、P02]
国文学者の片桐洋一は、中世の説話集や能に見える小町像を、こう整理しました。美しく驕慢で男を寄せつけなかった女性が、年老いて落ちぶれる筋書きです。「花の色はうつりにけりな」の歌も、容色の衰えをたとえた歌と読まれ、この筋書きの元になったとされています。[S03、P01]
「○○小町」と呼ぶ例は、19世紀の初めの川柳集に見えます。七小町の能があったために、この呼び方が定着しやすかったと考えられています。時代や土地の名をつけた「天明小町」「小倉小町」のような呼び方もあるのです。[P02]
一古今和歌集の序(10世紀初め)
小町の歌の趣を女性の姿にたとえて評した。顔かたちの記録ではない。
二中世の説話や能
美しかった小町が老いて落ちぶれる物語。『玉造小町子壮衰書』の老女と同じ人物とされた。
三明治時代の新聞や雑誌
クレオパトラ、楊貴妃と並べる「世界三大美人」の言い方が生まれた。
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05「世界三大美女」は、いつから言われた?
クレオパトラ、楊貴妃、小野小町。この三人の名が並ぶ例は、明治期の新聞にもあります。東京大学の永井久美子が紹介する明治21年(1888)7月20日の読売新聞の社説は、美人の基準は人や土地によって違うので、小町も人によっては美人と思われないだろう、という内容でした。[P02]
三人を並べる言い方は、明治の末から大正の初めの新聞や雑誌を通して広まったと考えられています。小町が選ばれた背景には、歌人としての名声と、「小町」が美人を指す呼び名になっていたことがあります。「世界」と付いていても、この組合せは日本独自の言い方とされます。[P02、W01]
ただし、1888年の例があらゆる資料を通じた最初だと確定したわけではありません。いつ誰が最初に言ったのかと、明治の新聞に実例があることは、分けて考えます。[W02、P02]
一江戸の三美人
明和の三美人は鍵屋お仙ら、寛政の三美人は難波屋おきたら。江戸で評判の女性たちを三人ずつ挙げた。
二世界三大美人
クレオパトラ、楊貴妃、小野小町を並べる日本独自とされる言い方。明治21年の新聞にも三人の名が並ぶ。
三「小町」の呼び名
美人を「○○小町」と呼ぶ例は19世紀初めの川柳集に見え、「小倉小町」のように土地の名と結びついた。
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06分かったのは、歌の評判と伝説の育ち方
小町の絵には、顔を隠したものも、顔を出したものもあります。レファ協の事例は、顔を出した例として、菱川師宣が描いた延宝8年(1680)の『小倉百人一首』を挙げていて、国立国会図書館デジタルコレクションで確かめられます。事例が挙げる絵のうち、国立国会図書館で確かめられる最も古いものは、17世紀の菱川師宣の版本です。[W04、I03]
小町の容姿を述べた記録は、『古今和歌集』の序と、研究が取り上げる贈答の歌には見つかりません。記録がないことは、美しくなかったことの証拠にもなりません。確かなのは、小町の歌が『古今和歌集』の序などで高く評価されたことです。仮名序は小町を六人の歌人に数え、11世紀の『新猿楽記』も、歌の名手として貫之や躬恒と並べています。[S01、P01]
小町が美しい人だったかどうかを、『古今和歌集』の序や贈答の歌から確かめることはできません。分かるのは、仮名序の評が歌の趣についてだったこと、中世の説話や能が美貌と零落の物語を育てたこと、明治に世界三大美人の言い方が生まれたことです。その仮名序の原文を、次に読んでみましょう。
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『古今和歌集』仮名序(六歌仙の評のうち、小野小町の項)
作者:紀貫之ほか撰、中川恭次郎 編
原文(該当部分)
をのゝ小町は、いにしへのそとほりひめの流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よきをうなのなやめる所あるににたり。つよからぬは、をうなのうたなればなるべし。
現代語訳
小野小町は、昔の衣通姫の系統である。しみじみとした趣があって、強くない。たとえるなら、美しい女性が病で弱っている姿に似ている。強くないのは、女の歌だからであろう。
本文翻刻
ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。
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出典・訳について
『古今和歌集』仮名序(六歌仙の評のうち、小野小町の項)
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- 作品名:『古今和歌集』仮名序(六歌仙の評のうち、小野小町の項)
- 著者・編者:紀貫之ほか撰、中川恭次郎 編
- 巻・章・話番号:仮名序、六歌仙の評
- 採用した版・底本:中川恭次郎 編『古今和歌集 上巻』歌書刊行会、1909年(活字本。古注が小字で入る)
- 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション pid 873280、https://dl.ndl.go.jp/pid/873280/1/9
- 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:9コマ、左頁の右寄り
- 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン(PDM)
表記・訳の注記
底本の「をの〻」は、繰り返し記号を「ゝ」に改めて「をのゝ」とした。句読点と濁点は雲亭が補った。底本に小字で入る古注(小町の歌と衣通姫の歌)は省いている。「よき女」は美女と取る説のほか、身分の高い女性と取る説もある。ここでは美女の意を採用した。「なやむ」は精神的な悩みだけでなく、病気で苦しむ意味を持つ。真名序の「病婦」の比喩も踏まえ、病で弱る姿と訳した。語義は小学館『全文全訳古語辞典』・『日本国語大辞典』の公開サンプルを参照:https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1867 。「よき女」の複数説は論文『小町伝説の母胎 古今集』の公開検索本文を参照:https://doshisha.repo.nii.ac.jp/record/12147/files/016000140008.pdf 。当該頁画像による再照合は未実施。これは小町本人の容姿や病歴の記録ではなく、歌風を女性の姿にたとえた評である。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。
「あはれなるやうにて、つよからず」は、しみじみとした趣がある一方、力強さはないという歌風の評です。「なやめる」を現代の「思い悩んでいる」だけで読むと、病の比喩が伝わりません。女性の姿にたとえた歌の評であって、小町本人の顔や健康状態を記した文章ではないことに注目してください。
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出典と原典の画像
元の記録や研究を、自分の目で確かめられます。
ほかの一次資料
『古今和歌集』真名序(小野小町の評)
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原文(該当部分)
小野小町之歌、古衣通姫之流也。然艶而無氣力、如病婦之著花粉。
現代語訳
小野小町の歌は、昔の衣通姫の系統である。しかしなまめかしくて、力強さがない。病んでいる婦人がおしろいをつけたようなものである。
本文翻刻
ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。
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出典・訳について
- 作品名:『古今和歌集』真名序(小野小町の評)
- 著者・編者:紀淑望撰、中川恭次郎 編
- 巻・章・話番号:真名序(巻頭の序)
- 採用した版・底本:中川恭次郎 編『古今和歌集 上巻』歌書刊行会、1909年(活字本)
- 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション pid 873280、https://dl.ndl.go.jp/pid/873280/1/4
- 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:4コマ、右頁の末尾から左頁の冒頭
- 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン(PDM)
表記・訳の注記
句読点は底本になく、雲亭が補った。「花粉」をおしろいと訳したのは一般的な説明による。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。
『小倉百人一首』第9番歌(小野小町)。『古今和歌集』春下113の歌
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原文(該当部分)
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
現代語訳
桜の花の色は、むなしく色あせてしまったことだ。私が世の中で時を過ごし、物思いにふけっているあいだに。
本文翻刻
ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。
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出典・訳について
- 作品名:『小倉百人一首』第9番歌(小野小町)。『古今和歌集』春下113の歌
- 著者・編者:菱川師宣 画
- 巻・章・話番号:小野小町の頁
- 採用した版・底本:『小倉百人一首』菱川師宣画、本問屋、延宝8年(1680)刊の版本
- 翻刻提供元・URL:翻刻なし。雲亭が画像から読んだ。https://dl.ndl.go.jp/pid/2541162/1/8
- 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:8コマ、右頁
- 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン(PDM)
表記・訳の注記
画像の字は「花乃色は うつりにけりな いたつらに わか身よにふる ながめせしまに」。「乃」を「の」に、清音を濁音に改めた。『古今和歌集』春下113の歌であることは P01 による。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。
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画像 I01 『古今和歌集』上巻(仮名序)
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国立国会図書館 / 中川恭次郎 編、歌書刊行会、1909年。活字本で、平安時代の写本の画像ではない / 9コマ、左頁
資料の書誌 | 該当箇所の画像
画像 I02 『古今和歌集』上巻(真名序)
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国立国会図書館 / 中川恭次郎 編、歌書刊行会、1909年。活字本 / 4コマ、右頁末から左頁冒頭
資料の書誌 | 該当箇所の画像
画像 I03 『小倉百人一首』(菱川師宣画)
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国立国会図書館 / 延宝8年(1680)刊の版本、本問屋 / 8コマ(小野小町の頁。顔を出して描かれている)
資料の書誌 | 該当箇所の画像
参考にした研究・関連文献
論文 P01 平安期における小野小町享受
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服部友香 / 名古屋大学大学院文学研究科 博士論文(課程博士) / 平成28年(2016)3月提出、機関リポジトリ公開2016年6月30日 / 序論 6〜13頁を参照
関連文献(本文未確認)
書誌・DOI | 本文掲載ページ | 本文PDF
論文 P02 「世界三大美人」言説の生成:オリエンタルな美女たちへの願望
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永井久美子 / Humanities Center Booklet / 6号、2020年12月24日 / 1〜40頁。参照箇所は1〜7頁、17〜31頁
関連文献(本文未確認)
書誌・DOI | 本文掲載ページ | 本文PDF
論文以外の参考資料
解釈と、まだ確かめられていないこと
仮名序と真名序は小町の歌を評した文章で、顔かたちの記録とは性質が異なります。『古今集目録』や『三十六人歌仙伝』は後の時代の資料で、小町の生涯の確かな記録とは言えません。『玉造小町子壮衰書』の「小町」と小野小町を同じ人物とする見方は、12世紀の『袋草紙』がすでに疑っています。「世界三大美人」の初出についての永井の調査は、新聞と雑誌が対象で、見つかっていない例がほかにある可能性は残ります。
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