雲亭 日本古典図書室

阿倍仲麻呂の月の歌、詠んだ場所に疑惑

「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」。月を見上げ、遠い故郷を思う阿倍仲麻呂の歌です。ところが『土佐日記』を開くと、歌い出しは「あをうなばら」。空を仰ぐ歌と、海を望む歌。二つの本は、同じ月をどのように描いているのでしょう。

海に昇る月を眺める遣唐使の姿
画像はイメージです

承平5年(935)の1月20日、土佐から京へ向かう船は、悪い天気で港から出られずにいました。夜になると、山の端のない海の中から月が昇ってきます。『土佐日記』の書き手はこの月を見て、昔、唐から帰ろうとした阿倍仲麻呂の話を思い出し、その歌を書き留めました。同じ歌は『古今和歌集』にも載っていて、こちらは歌い出しも、詠んだ場面の説明も少し違います。

01帰れなかった留学生が、月に見た故郷

阿倍仲麻呂は、8世紀の初めに留学生として唐に渡り、唐の朝廷に仕えて高い官職に就いた人です。752年に藤原清河らの遣唐使が日本から来ると、翌753年、阿倍仲麻呂は清河らとともに帰国を図りましたが、乗った船は暴風に遭って南へ流されました。結局、日本に帰ることはできず、770年に唐で亡くなっています。[W04]

百人一首の7番で知られる「天の原」は、『古今和歌集』に載る形です。一方、『土佐日記』は「あをうなばら」と伝えます。仲麻呂の帰国への思いが、二つの本でどのように語られているか、本文を読み比べます。[S01、S02、W02]

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02古今和歌集は、場所まで書いている

『古今和歌集』は905年ごろにまとめられた勅撰の和歌集で、旅の歌を集めた巻九の最初に、この歌が置かれています。詞書(歌の前の説明)は「もろこしにて月をみてよみける」、つまり「唐で月を見て詠んだ」です。作者は「安部なかまろ」と書かれ、歌は「あまのはらふりさけみれはかすかなるみかさの山にいてし月かも」とあります。[S01、I01、W05]

歌のあとには、左注と呼ばれる説明の文が付いています。昔、阿倍仲麻呂を唐に留学させたところ、何年たっても帰れずにいた。日本からまた使いが来たのに従って帰ろうと出発した時、明州という所の海辺で、その国の人が送別の宴を開いた。夜になって月がたいそう美しく昇ったのを見て詠んだ、という内容です。[S01]

左注の結びは「となむかたりつたふる」で、語り伝えられている話として書いた形です。明州は現在の浙江省の寧波にあたり、阿倍仲麻呂が詠んだ場所を寧波とする資料が多いと、図書館の調査事例は報告しています。[S01、W01]

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03土佐日記では、歌い出しが「あをうなばら」

『土佐日記』は、紀貫之が、土佐から京へ帰る旅を、女性の書き手を装って書いた仮名の日記です。承平5年1月20日の条は、天気が悪くて船を出せず、皆が嘆く場面から始まります。夜になって二十日の月が海の中から昇るのを見て、書き手は阿倍仲麻呂の話を思い出します。[S02]

ここでの話は、古今和歌集の左注とかなり違います。阿倍仲麻呂は船に乗る所で、唐の人から送別の宴を開いてもらい、別れを惜しんで唐の詩を作ったりしました。書き手は、それでも飽き足りなかったのだろうかと推し量り、阿倍仲麻呂が二十日の夜の月が出るまでそこにいた、と書きます。その月は海から昇りました。[S02]

月を見た阿倍仲麻呂は、日本では神代から神も歌を詠み、いまは身分の上下を問わず、別れを惜しむときにも、喜びや悲しみのときにも歌を詠む、と言ってから、「あをうなばらふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」と詠みます。唐の人には歌の意味が分からないだろうと思われたのに、歌の心を漢字で書き出して、日本語を伝えている人に説明すると、思いのほか感心したそうです。[S02]

一

古今和歌集(巻九)

歌い出しは「あまの原」。左注は、明州の海辺での送別の宴の夜に詠んだと語り伝える。

二

土佐日記(承平5年1月20日)

歌い出しは「あをうなばら」。地名は書かれず、二十日の夜の月が海から昇る場面で詠む。

三

百人一首(7番)

歌い出しは古今和歌集と同じ「天の原」。

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04元の歌の形と、詠まれた時を考える

図書館のレファレンス事例の結論は、歌い出しのどちらが元の形かは特定できない、というものでした。ただし、土佐日記の形のほうが、伝承歌や改作だとする説が多いと述べています。[W01]

注釈書の説明はこうです。ある古典文学大系の脚注は、古今和歌集などでは歌い出しが「天の原」で、土佐日記は、その夜の海の情景に合わせて機転をきかせて変えた、と説明します。別の全集の頭注も、これは異伝というより作者の意識的な改変で、それを書き手の伝え聞きの話に仕立てたものと見ています。[W01]

詠んだ場所には諸説があります。全集の脚注は、唐での送別の宴で、三十年前に日本で受けた送別を思い出して詠んだとする説と、蘇州の船の中で詠んだとする説を、並べて紹介しているのです。古今和歌集の別の注は、もとは漢詩で、その一部がこの歌だという中国学者の説にも触れたうえで、この歌を伝承歌と呼びます。なお『続日本後紀』の承和3年(836)の記事によれば、そのころにはすでに、この歌は阿倍仲麻呂の作と信じられていたそうです。[W01]

関連する読みもの:雲亭の運営者が、帰国の出航日と月の見え方を調べたnote記事「天の原ふりさけ見れば春日なる」もあります。

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05同じ月の歌を、二つの本で読み比べる

二つの本が書かれたのは、歌が詠まれたとされる8世紀の半ばから150年以上あとの平安時代です。古今和歌集の左注は伝え聞きの形で、土佐日記の書き手は日記の中で自分を女性と名乗っています。どちらも、阿倍仲麻呂本人がその場で書いた記録ではありません。[S01、S02、W04、W05]

それでも、月を見て故郷の山を思う歌が、阿倍仲麻呂の名で長く伝えられてきたことは確かです。月が出るまで待つ阿倍仲麻呂の姿を書いているのは、土佐日記のほうです。その1月20日の条を、原文で読んでみましょう。[S02、W01]

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『古今和歌集』巻第九 羇旅歌 406番(詞書、作者、歌、左注)
作者:紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の撰

原文(該当部分)

もろこしにて月をみてよみける

安部なかまろ

あまのはらふりさけみれはかすかなるみかさの山にいてし月かも

このうたはむかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるにあまたのとしをへてえかへりまうてこさりけるをこのくによりまたつかひまかりいたりけるにたくひてまうてきなんとていてたちけるにめいしうといふところのうみへにてかのくにの人むまのはなむけしけりよるになりて月のいとおもしろくさしいてたりけるをみてよめるとなむかたりつたふる

現代語訳

唐で月を見て詠んだ。

安部(阿倍)仲麻呂

大空をはるかに仰ぎ見ると、春日の三笠の山に出ていたのと同じ月が出ていることだなあ。

この歌は、昔、仲麻呂を唐に学ばせるために遣わしたところ、長い年月がたっても帰って来られなかった。日本からまた使いが来たのに同行して帰ろうと出発した時、明州という所の海辺で、その国の人が送別の宴を開いた。夜になって月がたいそう美しくさし出たのを見て詠んだ、と語り伝えている。

本文翻刻

ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。

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出典・訳について

『古今和歌集』巻第九 羇旅歌 406番(詞書、作者、歌、左注)

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  • 作品名:『古今和歌集』巻第九 羇旅歌 406番(詞書、作者、歌、左注)
  • 著者・編者:紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の撰
  • 巻・章・話番号:巻第九 羇旅歌の最初の歌(歌番号406)
  • 採用した版・底本:『古今和歌集 : 清輔本 上』育徳財団、1928年(清輔本の活字翻刻)
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション pid 1188408、https://dl.ndl.go.jp/pid/1188408/1/158
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:303頁(巻頭の見出し、詞書、作者、歌、左注の初め)、304頁(左注の続き)、305頁(左注の結び)。158コマ(303頁)と159コマ(304〜305頁)
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン(同館の書誌に PDM と表示)

表記・訳の注記

原文は清輔本の活字翻刻で、濁点と句読点がない(「かすかなる」は「春日なる」)。歌の第4句の「山」の右に小さな傍記(ヲ)があるが、意味を確かめていないので省いた。作者名は原文のまま「安部」とした。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

「二十日の夜の月出づるまでぞありける」は、二十日の夜の月が出るまで(唐に)いた、という意味です。「山のはもなくて海の中よりぞ出でくる」は、山の端もなく、海の中から出てくる、という意味です。書き手は、自分が見ている月と阿倍仲麻呂の月を重ねています。古今和歌集の左注にないこの月の場面と、歌い出しの「あをうなばら」を並べて読むと、ある注釈書が歌を「当夜の情景に合わせた改変」と見る理由が分かります。

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出典と原典の画像

元の記録や研究を、自分の目で確かめられます。

ほかの一次資料

『土佐日記』承平5年(935)1月20日の条

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原文(該当部分)

二十日の夜の月出でにけり。山のはもなくて海の中よりぞ出でくる。

(中略)

あかずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。

その月は海よりぞ出でける。これを見てぞ仲麻呂のぬし「我が國にはかゝる歌をなむ神代より神もよんたび、今は上中下の人もかうやうに別れ惜み、よろこびもあり、かなしみもある時には詠む」とてよめりける歌、

「あをうなばらふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」

とぞよめりける。

現代語訳

二十日の夜の月が出た。山の端もなく、海の中から出てくる。(中略)飽き足りなかったのだろうか、二十日の夜の月が出るまでそこにいた。その月は海から出た。これを見て仲麻呂どのは、「わが国ではこのような歌を、神代から神もお詠みになり、いまは身分の上中下の人も、このように別れを惜しみ、喜びも悲しみもあるときには詠む」と言って詠んだ歌、

「青海原を遠く仰ぎ見ると、春日の三笠の山に出ていたのと同じ月が出ていることだなあ」

と詠んだのだった。

本文翻刻

ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。

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出典・訳について
  • 作品名:『土佐日記』承平5年(935)1月20日の条
  • 著者・編者:紀貫之
  • 巻・章・話番号:日記は承平4年12月21日に始まる。1月20日の条は「二十日、」で始まる段落
  • 採用した版・底本:『國文大觀 日記草子部』明文社、1906年初版・1909年再版(活字本)。青空文庫の底本表示による
  • 翻刻提供元・URL:青空文庫「紀貫之 土佐日記」(入力 岡島昭浩、校正 小林繁雄)、https://www.aozora.gr.jp/cards/000155/files/832_16016.html
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:底本の頁数は青空文庫に表示がなく未確認。青空文庫版の「二十日、」の段落
  • 引用・再利用条件:青空文庫の作品。同ファイルに「編纂者等の著作権は消失している」と明記。図書カード https://www.aozora.gr.jp/cards/000155/card832.html

表記・訳の注記

中略した部分は、仲麻呂が唐から帰る時に船に乗る所で、その国の人が送別の宴を開き、唐の詩を作ったりした、という内容。底本の旧字体と仮名づかいは青空文庫版のまま。「神もよんたび」の語は意味に自信がなく、「神もお詠みになり」と訳した。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

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画像 I01 『古今和歌集 : 清輔本 上』

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国立国会図書館 / 育徳財団、1928年。清輔本の活字翻刻で、写本の画像ではない / 303〜305頁、158〜159コマ

資料の書誌 | 該当箇所の画像

参考にした研究・関連文献

論文以外の参考資料

解釈と、まだ確かめられていないこと

古今和歌集の左注は「語り伝ふる」の形で、阿倍仲麻呂本人の記録ではありません。『土佐日記』は紀貫之が女性の書き手を装った日記で、阿倍仲麻呂の話は書き手が思い出した形で出てきます。どちらの本も、歌が詠まれたとされる時から150年以上あとに書かれました。『古今和歌集』が『土佐日記』に先立つことと、歌い出しのどちらが元の形かは別の問題です。元の形は特定できず、どこで詠まれたかには諸説があります。 中国の歌碑にある漢訳は、資料によって細かな字の違いが報告されています。[W03]

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