雲亭 日本古典図書室

美濃の山中に、260年生きる女性がいた?

美濃国の山奥の洞穴で育った女性が、260歳になった今も、顔は40歳ほどに見える。江戸時代の随筆に、こんな話が載っています。いったい誰が、どこまで確かめた話なのでしょうか。

美濃の山中で薬草を摘む長寿の女性と旅人たち
AI生成によるイメージです

死者が百人とも千人とも言われる水害の知らせを書き連ねた手紙が、途中でふいに、山の中に住む仙女の話に変わります。「奇妙なことです」と、書き手は添えます。この人は、その女性に会ったのでしょうか。

01水害の手紙に、仙女が出てくる

『兎園小説』は、江戸の好事家たちが月に一度集まり、見聞きした珍しい話を持ち寄った記録です。第十集の第6話「濃州の仙女」は、その回を受け持った輪池(屋代弘賢)が披講した手紙の写しで、題のとおり美濃国(今の岐阜県)の話です。[S01]

手紙の書き手は、尾張藩の儒者の秦鼎です。九月四日の日付で、前の月の十四日の夜に美濃で水害があり、長良川が大きくあふれたと伝えています。死者は今日までに百人ほどが分かり、二百人からになるとも聞く。全体では八百人とも千人とも言う、と続きます。[S01]

仙女の話は、この水害の知らせのあとに「一つ」と箇条書きの形で加えられています。手紙には、今日までに分かった死者の数、二百人からになるという聞き込み、全体では八百人とも千人とも言うという噂が、この順番に並ぶ形です。書き手は、確かめた数字と聞いた話を分けて書いています。[S01]

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02260年は、どこから出てきた?

仙女が住むのは、根尾野村(今の本巣市根尾)の山中です。書き手自身が「大垣領でしょうか、北美濃と越前の境でしょうか」と迷っていて、場所からして、はっきりしません。[S01]

話の中身はこうです。初めは「斎藤道三の娘だ」と言い伝えられていたが、そうではなかった。越前の朝倉の家臣の妻が、身ごもったまま、朝倉が滅んだときに山中へ逃れ、女の子を産んだ。その娘は洞穴の中で育ち、今年で260歳ほどになる。顔色は40歳の人のように見え、髪は棕櫚(しゅろ)の毛のようだという。[S01]

手紙には、260歳という数字の根拠が書かれていません。朝倉氏が織田信長に滅ぼされた1573年を起点にすると、『兎園小説』第十集が披講された1825年には252歳で、手紙の260歳とは8年の差があります。手紙には、どの年から数えたのかも書かれていません。[S01]

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03この話を見た人は、いたのか

書き手の秦鼎は、仙女に会っていません。手紙には「くわしいことは、まだあちこちが水害で、誰も途中の決壊箇所を恐れて、行って見ることができません」とあります。[S01]

「写生図もまもなく届くだろうと思います」という一文があるので、書き手は図を待っていたことが分かります。ただ、同じ話の中に、その図も続報も載っていません。写本では、手紙の結びの一行のすぐあとから、次の話が始まります。[S01、I01]

つまり、260歳という年齢も、顔が40歳ほどに見える様子も、人づてに書き手へ届いた話です。誰が見たのか、何人を経た話なのかは、手紙からは分かりません。この記録だけでは、仙女と呼ばれた人が本当にいたのかどうかも確かめられません。

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04長寿の女性の噂は、ほかにもあった?

長寿の女性の話としては、八百比丘尼がよく知られています。人魚の肉を食べて不老長寿になった尼の伝承で、図書館のレファレンスの記録は、主に北陸地方の話だとし、岐阜県にもこの形の伝承があると述べています。[W01、W02]

八百比丘尼の伝説に多い長寿の話が文献に初めて現れるのは、冨樫晃によれば、文安6年(1449)です。『康富記』『綱光公記』『臥雲日件録』の三つの日記が、若狭から京都に来た白比丘尼のことを書いています。『康富記』は「二百余歳」の比丘尼と書き、『綱光公記』は、白比丘尼が御所に参り、年は八百歳だと申した、と書きます。『臥雲日件録』の表現は「八百歳老尼」です。[P01]

見た人の受け取り方も記されています。『康富記』の記述は、人々が奇異の思いをなした、というものです。『綱光公記』は、これを怪異なことだと書き、不吉なことだろうか、と案じています。[P01]

根尾の話と八百比丘尼の話を結びつける記録は、見つかっていません。それでも、長い年齢を名乗る女性の噂が広がり、日記や手紙に書き留められるという流れは、『兎園小説』第十集が披講された1825年よりおよそ370年前の京都にもありました。[P01]

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05分かったことと、分からないこと

手紙から確かめられるのは、尾張藩の儒者が、根尾野村の山中に260歳ほどの女性が住むという話を聞いたこと、まだ誰も会いに行けておらず、図を待っていたことです。年齢の根拠、女性の名前、実際にいたかどうかは、この手紙からは分かりません。[S01]

一方で、この手紙は、水害の混乱の中でも珍しい噂が書き送られ、集まりで読み上げられていたことを示しています。江戸の好事家たちが、噂をどのように受け取っていたのかが見えてくる記録です。[S01]

書き手が最後に添えた一言まで、原文で読んでみましょう。

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『兎園小説』第十集 第6話「濃州の仙女」(本文の題は「濃州仙女」)
作者:曲亭馬琴ほか兎園会の会員。この話は輪池堂(屋代弘賢)の披講で、手紙の書き手は尾張藩の儒者の秦鼎

原文(該当部分)

今年は雨多にて、濃州も前月十四日夜水災、長良川殊に溢決いたし、尾州領も堤三千間も溢決申候。溺死も今日にて百人計も相分候へども、いづれも二百人からの儀と相聞候。總ては八百人とも千人とも申候。可憐事ども、いはん樣も無之候。

現代語訳

今年は雨が多く、美濃でも先月十四日の夜に水害があり、とくに長良川が決壊し、尾張領でも堤が三千間も決壊しました。溺死者も今日までに百人ほど分かっていますが、いずれにせよ二百人からになると聞いています。全体では八百人とも千人とも言います。気の毒なことで、言いようもありません。

本文翻刻

ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。

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出典・訳について

『兎園小説』第十集 第6話「濃州の仙女」(本文の題は「濃州仙女」)

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  • 作品名:『兎園小説』第十集 第6話「濃州の仙女」(本文の題は「濃州仙女」)
  • 著者・編者:曲亭馬琴ほか兎園会の会員。この話は輪池堂(屋代弘賢)の披講で、手紙の書き手は尾張藩の儒者の秦鼎
  • 巻・章・話番号:第十集(十月朔、輪池堂の回)第6話
  • 採用した版・底本:昭和女子大学図書館 桜山文庫 写本(請求記号 桜914.5/37/1-14)。活字本系の私家版電子テキストと校合し、字句に目立つ違いはない
  • 翻刻提供元・URL:雲亭の翻刻(写本の画像から起こした)。写本の公開ページ https://www.ro-da.jp/swu/contents/3171
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:3171の50カット目左ページから51カット目右ページ。末尾に「右尾張公儒官秦鼎手簡なり」とあり、左ページから次の話「鶴の稻」が始まる
  • 引用・再利用条件:昭和女子大学図書館デジタルアーカイブ。CC BY-NC 4.0(https://creativecommons.org/licenses/by-nc/4.0/deed.ja )、「許諾不要:ただしコンテンツの利用については昭和女子大学図書館にお問い合わせください」の表示。営利利用は館へ確認が要る

表記・訳の注記

引用は手紙の第二条(仙女の話)だけ。第一条の水害の知らせは本文で要約した。原文欄は写本の字句を採り、正字体を保ち、振り仮名を外している。「一」は箇条書きの記号で、第二条を示す。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。「寫眞」は仙女の姿を写した図の意。「得往觀不申候也」は「え往き観申さず候なり」と読み、行って見ることができないの意に解した。

「寫眞」は仙女の姿を写した図のことで、「得往觀不申候也」は「行って見ることができません」という意味です。260歳は「今年は二百六十歳計」と書かれ、続けて顔色は四十歳の人と「相見え申候」、髪はシュロの毛のようだと「申候」と書かれます。「相見え」は顔色に、「と申し候」は髪に付く言葉で、260歳には伝聞の言葉が付かない書き方です。最後の「奇な事に候」は、書き手の感想で、真偽には触れていない一言です。

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出典と原典の画像

元の記録や研究を、自分の目で確かめられます。

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画像 I01 『兎園小説』第九、十集

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昭和女子大学図書館 桜山文庫 / 写本 / 50カット目左ページから51カット目右ページ

資料の書誌 | 該当箇所の画像

参考にした研究・関連文献

論文 P01 中世における白比丘尼集団の活動について : 日記類と『筆結の物語』を中心に

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冨樫晃 / 國學院大學大學院紀要 / 54(機関リポジトリのファイル名による。刊行年月は不明) / 不明(リポジトリ版の頁表記は169頁から)

記事で参照した文献

書誌・DOI | 本文掲載ページ | 本文PDF

論文以外の参考資料

解釈と、まだ確かめられていないこと

手紙は、聞いた話を伝える形で書かれており、書き手が仙女を見たのではありません。第6話が載る『兎園小説』は、江戸の好事家が持ち寄った珍談の記録で、内容の真偽を確かめた書物ではありません。長寿の女性の例として挙げた八百比丘尼の記事は、根尾の話とは別の地域と時代の記録です。

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