雲亭 日本古典図書室

崇徳院と頼長、死後に添い寝?

Xなどでは、崇徳上皇が藤原頼長に添い臥して世間話をしていた、頼長は男色で知られた人だから、怨霊同士の男色だ、という話が広まっています。もとになっているのは、平安時代の終わりに書かれた『吉記』の、ある日の記事です。その記事に、本当にそう書いてあるのでしょうか。

月夜の社で、御簾の奥に横たわる崇徳院と世間話をする藤原頼長、床を漂う七匹の蛇を描いた幻想画
『吉記』の夢の記事をもとにした、史実ではあり得ないAI生成のイメージです

社ができてまもない夜、社を取り仕切る役人が夢を見ます。宝殿の奥に崇徳院がいて、姿ははっきり見えないまま、横になって寄り添うような姿でいる。そばでは、亡くなったはずの頼長が夏の装束で、世の中のことを話している。この夢を日記に書き留めた人は、二人の関係について何と書いたのでしょうか。

01「怨霊同士の男色」はどんな噂?

崇徳上皇は、保元の乱で後白河天皇方と戦った人です。藤原頼長は、その乱で崇徳院の側につき、戦いの傷がもとで亡くなりました。二人の霊を祀る社が、寿永3年(1184)の京都に建てられたことは、日記に記録されています。[S02]

噂は、この社ができた直後の夢の話を使います。夢の中で崇徳院が頼長に添い臥していた、頼長は男色で知られた人だから、二人は死後もそういう仲だったのだ、という読み方です。ただし、頼長の男色を根拠にするのは噂の側の言い分で、日記の本文には出てきません。

噂の出どころは、吉田経房の日記『吉記』です。まず、その記事に何が書かれているかを見ていきます。

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02範季が見た夢には、何が出てきたか

問題の記事は、『吉記』寿永3年4月25日条です。この日、経房は「人々が語るには」と前置きして、崇徳院の神殿の下から蛇が七匹出てきて、そのうち一匹は白かったという話を書いています。原文は「去る二十一日」と書いています。[S01]

社の造営を担当していた藤原範季は、翌日にこの話を聞き、上に申し上げようとしましたが、御所の取り次ぎがかなわないまま退出しました。その夜、範季が見た夢では、崇徳院は宝殿の中におり、姿ははっきり見えないまま「そひふし」をしています。宇治左府、つまり頼長は夏の衣冠を着け、世の中のことを話していました。そして「不便に思し召す気」があった、という夢です。[S01、I01]

日付にも注意が要ります。記事は25日付ですが、夢は、蛇が出た翌日、範季がその話を聞いた夜のことと読めます。経房は、夢の詳しい内容を範季の記録で尋ねるつもりのようです。[S01]

『吉記』寿永3年4月の巻の706コマ。左ページに頭書「崇徳院宝殿下蛇出現事」と4月25日条が続く
『吉記』(京都大学附属図書館所蔵)706コマ、左ページが4月25日条。縮小して掲載。京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013527

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03原文が書いていないこと

噂の話と原文を並べると、食い違いが二つあります。一つ目は、添い臥していた相手です。原文は「そひふしせしめ給ふ」と書くだけで、誰に添っていたのかを示す語がありません。「頼長に」と訳に補えば、原文にない読みが加わります。[S01]

二つ目は、不便に思った人です。「不便に思し召す気」の「思し召す」は敬語で、直前の文の主語は頼長なので頼長とも読めますが、崇徳院とも読め、原文だけでは決められません。「不便」は、辞書では、かわいそうなこと、気の毒なことのほか、都合が悪いこと、かわいいと思うことの意でも使われる言葉で、原文に「悲しげ」とは書かれていません。[S01、W01]

頼長についてわかるのは、夏の衣冠を着て、世の中のことを話していたという点だけです。そこに、男色を思わせる語はありません。[S01]

古い日記を読む人物の前に、離れて現れる崇徳院と頼長、白蛇を描いた幻想画
「曾比伏」と書かれた一行を読み解く場面をイメージしたAI生成の挿絵です

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04「そひふし」は万葉仮名で書かれている

京都大学が所蔵する写本の画像を見ると、「そひふし」の部分は、漢字の「添臥」ではなく、「曾比伏」と書かれています。「曾」「比」は、漢字の音を借りて仮名として使う万葉仮名で、「伏」だけが意味を表す漢字です。活字本の『史料大成』も、同じ字で印刷しています。[S01、I01]

この日記の記事は、ほとんどが漢文で書かれています。その中で「そひふし」だけが、音を写す形で書かれているわけです。同じ記事の終わり近くに出る「神祇官とおほしき所ニ」は、仮名まじりで書かれています。[S01]

「そひふし」は添い臥しにあたる語で、辞書には、そばに寄りそって寝ること、とあります。[W01]日記の筆者が、なぜこの語をこの形で書いたのかは、記事からは分かりません。原文を見るときは、現代語訳に補われた言葉と、原文の字を分けて読むのが大切です。

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05社ができるまで、夢の見られた場所

夢の舞台になった社は、急にできたものではありません。4月1日、範季が経房を訪ねて話したところによると、社は何もかもまだ決まっておらず、神体にあたる御正体に何を用いるかが議論になっていました。まず崇徳院に仕えた兵衛佐の局に尋ねると、院が長年持っていた普賢菩薩の像と鏡が今もある、と答えたといいます。[S03]

遷宮は4月15日、賀茂祭の日です。崇徳院と宇治左大臣を崇霊神として祀り、場所は春日河原でした。保元の合戦のとき、崇徳院の御所があった跡です。範季がこの造営の奉行を務め、卜部兼友が社司に任じられました。[S02]

この4月15日条の細かな読みについては、原水民樹の研究があります。割注の「故入道教長卿」は本来「教長卿子」で、院の霊を祀る相談は後白河院から出たと読むべきだ、という説です。ただし、「子」のある写本は見つかっていないと原水は述べています。[P01]

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06文字から見える二人、見えない二人

『吉記』の夢の記事から言えることを整理します。夢の中の崇徳院は、姿がはっきりしないまま、そひふしをしていました。頼長は夏の衣冠で、世の中のことを語っていました。崇徳院が誰に添っていたのか、誰が不便に思ったのかは、書かれていません。[S01]

夢の記録は、起きた出来事ではなく、夢を見た人が語った内容です。経房も、この夢を範季の記録から確かめるよう、書き添えています。[S01]

二人が死後に添い寝していたと決めるだけの語は、この記事にありません。噂を確かめたくなったら、まず「曾比伏」と書かれた、あの一行を見てください。

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『吉記』寿永3年4月25日条
作者:吉田経房

原文(該当部分)

廿五日、天陰、小雨時々降、人々談云、去廿一日、崇徳院神殿下、蛇七枚出、其中一白、翌日聞此旨、範季朝臣欲奏聞之処、御所中間不達、得退出、其夜夢想、彼院御坐宝殿内、其御体慥不令見給、令曾比伏給、宇治左府令着夏衣冠給、被談世上事、有不便思食之気云々、件夢子細、範季朝臣委注記云々、可尋之、又同夜、神祇大副兼友夢、神祇官とおほしき所ニ、兼友与範季祗候、両人懐中ニ蛇入之由見之、件所雖存本官、為此新社云々、

現代語訳

二十五日。曇りで、ときどき小雨。人々が語るには、去る二十一日、崇徳院の神殿の下から蛇が七匹出てきて、そのうち一匹は白かったという。翌日このことを聞いた範季朝臣は上に申し上げようとしたが、御所での取り次ぎがかなわないまま退出した。その夜の範季の夢では、崇徳院が宝殿の中においでになるものの、お姿ははっきりとはお見えにならず、添い臥していらっしゃる。宇治左府、つまり藤原頼長は夏の衣冠をお着けになって、世の中のことを話しておられる。気の毒に思し召すようなご様子であった、という。この夢の詳しいことは範季朝臣が書き留めているそうなので、尋ねてみるべきだ。また同じ夜、神祇大副の兼友も夢を見ている。神祇官と思われる所に兼友と範季が控えていると、二人の懐の中に蛇が入ってくる夢である。その場所は本来の神祇官だと思っていたのに、実はこの新しい社だったそうだ。

本文翻刻

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出典・訳について

『吉記』寿永3年4月25日条

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  • 作品名:『吉記』寿永3年4月25日条
  • 著者・編者:吉田経房
  • 巻・章・話番号:巻第24(京大本の外題「吉記 寿永三年四月」)。頭書「崇徳院宝殿下蛇出現事」
  • 採用した版・底本:京都大学附属図書館蔵『吉記』写本29冊(請求記号 5-04/キ/1貴別)の巻第24。活字本『史料大成』第23(笹川種郎編、内外書籍、1935年)101頁下段と対校
  • 翻刻提供元・URL:翻刻なし。京大本706コマを画像で読み、『史料大成』101頁と照合した。国立国会図書館デジタルコレクション pid 1236618、https://dl.ndl.go.jp/pid/1236618/1/65
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:京大本 706コマ左ページ。『史料大成』101頁下段、65コマ
  • 引用・再利用条件:京大本の画像は京都大学附属図書館が手続きなしで無償利用を認める(所蔵館の明示、ウェブではアーカイブへのリンクが条件。https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/reuse 、2026-10-16確認)。『史料大成』は NDL でインターネット公開

表記・訳の注記

句読点は雲亭(Claude)が補った。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。「蛇七枚」は京大本が「枚」と読め、『史料大成』の活字は判読しにくい。どちらも蛇を数える語として七匹の意に取った。「奏聞」の相手は原文になく、訳は「上に」にとどめる。『史料大成』65コマには「廿一日」に読めない傍注があり、本文では原文が「去廿一日」と書く、とだけ書く。「御所中間不達」の「中間」は取り次ぎの意に取ったが、読みの自信は低い。訳の「添い臥していらっしゃる」「お見えにならず」の主語は崇徳院と取った。「添い臥し」の相手は、原文のどこにも書かれていない。「有不便思食之気」の主語も原文にない。

注目したいのは「令曾比伏給」です。「曾比伏」は、「そひふし」を万葉仮名の「曾」「比」と漢字の「伏」で書いたもので、「給」は敬意を表します。もう一つは「有不便思食之気」で、「思食」は「思し召す」と読み、敬語の主語が書かれていません。誰がそうしていたのか、原文の字にどこまで書かれているかを確かめながら読んでみてください。

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出典と原典の画像

元の記録や研究を、自分の目で確かめられます。

ほかの一次資料

『吉記』寿永3年4月15日条

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原文(該当部分)

今日、崇徳院、宇治左大臣、為崇霊神、建仁祠、有遷宮、以春日河原為其所、保元合戦之時、彼御所跡也、

現代語訳

今日、崇徳院と宇治左大臣を崇霊神として社を建て、遷宮があった。場所は春日河原で、保元の合戦のときの崇徳院の御所の跡である。

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出典・訳について
  • 作品名:『吉記』寿永3年4月15日条
  • 著者・編者:吉田経房
  • 巻・章・話番号:『史料大成』第23所収の寿永3年4月
  • 採用した版・底本:『史料大成』第23(笹川種郎編、内外書籍、1935年)
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション pid 1236618、https://dl.ndl.go.jp/pid/1236618/1/64
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:98頁下段、64コマ
  • 引用・再利用条件:NDL でインターネット公開

表記・訳の注記

画像で読み、句読点は雲亭が補った。見出しの小字は「崇徳院宇治左府建仁祠遷宮事」。同じ条の続きに、院司の権大納言兼雅、奉行の範季朝臣、社司に補された神祇大副卜部兼友の名がある。「今日賀茂祭也」とある日付と合う。現代語訳は雲亭によるAIの試訳。

『吉記』寿永3年4月1日条

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原文(該当部分)

式部権少輔範季朝臣来談云、崇徳院御□社、毎事未定、御正体可被用何物哉之由有議、先被尋兵衛佐局、申云、年来御持仏普賢像、并御鏡当時見在、

現代語訳

式部権少輔範季朝臣が来て話すには、崇徳院の社は万事まだ決まっておらず、御正体に何を用いるかが議論になった。まず兵衛佐の局に尋ねると、局は、院が長年お持ちの普賢菩薩の像と鏡が今もあると答えている。

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出典・訳について
  • 作品名:『吉記』寿永3年4月1日条
  • 著者・編者:吉田経房
  • 巻・章・話番号:『史料大成』第23所収の寿永3年4月
  • 採用した版・底本:『史料大成』第23(1935年)
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション pid 1236618、https://dl.ndl.go.jp/pid/1236618/1/62
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:95頁下段、62コマ
  • 引用・再利用条件:NDL でインターネット公開

表記・訳の注記

画像で読み、句読点は雲亭が補った。「御□社」の一字は判読していない。続きには木の枕や如意輪などの話があるが、読みに自信がなく本文では使っていない。現代語訳は雲亭によるAIの試訳。

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画像 I01 『吉記』巻第24(外題「吉記 寿永三年四月」)

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京都大学附属図書館 / 写本29冊のうちの1冊(請求記号 5-04/キ/1貴別) / 706コマ左ページ(全811コマ中)

資料の書誌 | 該当箇所の画像

参考にした研究・関連文献

論文 P01 『吉記』寿永三年四月十五日条の読み:崇徳院・頼長奉祀に係わる一問題

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原水民樹 / 日本文学 / 48巻11号、1999年 / 83〜86頁

記事で参照した文献

書誌・DOI | 本文掲載ページ

論文以外の参考資料

解釈と、まだ確かめられていないこと

『吉記』は吉田経房の日記で、4月25日条は、範季の夢を経房が書き留めたものです。経房は夢を見た本人ではなく、夢の詳しい内容は範季の記録を尋ねるよう記しています。現代語訳は、京都大学附属図書館所蔵の写本の画像と『史料大成』を見比べて作った試訳で、専門家の校閲は受けていません。読点は補いました。

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