怪異と奇談 / 江戸
江戸時代にUFOが?!
2026年10月17日更新
1803年、常陸国の浜に円盤のような舟が流れ着き、中から宇宙人の女性が現れた。解説動画の題名や紹介文では、「江戸時代のUFO事件」としてこう紹介されることがあります。では、江戸時代の人々は、この舟と女性をどう書き残していたのでしょうか。
AI生成によるイメージです浜へ引き寄せた舟は、香合のように丸く、上はガラスの障子、底には鉄の板が張ってあった。中には赤い眉と白く長い髪の女がいて、四角い箱を抱え、誰も近づけようとしない。江戸時代の随筆は、こんな場面を書き留めています。『兎園小説』のこの記事に、宇宙人という言葉は出てきません。それなのに、なぜ「江戸時代のUFO」と呼ばれるようになったのでしょうか。
01「江戸時代のUFO」はどんな噂?
動画の題名や紹介文、解説記事では、享和3年(1803)に常陸国の浜へ円盤形の舟が漂着した、とされることがあります。乗っていた女性は宇宙人で、舟の中にあった文字は宇宙の文字だった、という紹介もあります。
空飛ぶ円盤が世間の関心を集めたのは、1947年にアメリカで目撃報道が出てからです。うつろ舟の絵は、少なくとも『兎園小説』(1825年)の写本に載っていて、1947年より120年以上前です。[W04、S01]
それなら、江戸の人々は何を見て、何と書いたのでしょうか。まず、いちばん有名な『兎園小説』を開いてみます。
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02『兎園小説』は、舟と女性をどう書いた?
『兎園小説』は、曲亭馬琴らが開いた兎園会で、めずらしい話を披露し合ってまとめた随筆集です。第十一集の「虚舟の蛮女」は、文政8年(1825)10月23日の会で披露された話の一つで、馬琴の子の滝沢興継が披露したとされます。[S01]
記事によると、享和3年2月22日の昼ごろ、常陸国の「はらやどり」という浜の沖に、舟のようなものが見えました。浦の人々が小舟で漕ぎ出して浜へ引き寄せると、舟は香合のように丸く、長さは三間(約5.4メートル)あまりあります。上はガラスの障子に松脂を塗り固め、底には鉄の板が筋のように張ってありました。[S01、I01]
中には、赤い眉と赤い髪で、顔は桃色の女がいました。白く長い髪は付け髪のようです。言葉が通じず、二尺四方の箱を片時も離さず、人を近づけません。舟には水、敷物、菓子のようなもの、肉を練ったような食べ物がありました。[S01、I01]
浦の古老は、異国の王の娘が密通した男を処刑され、娘は舟で流されたのだろう、箱の中身はその男の首かもしれない、と語ったといいます。役所に届けると費用がかかるため、人々は舟を元のように沖へ押し流しました。この記事に出てくるのは、空から来た乗り物ではなく、浜に流れ着いて、また海へ戻された舟です。[S01]
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03同じ話は、ほかの記録にもある?
あります。駒井乗邨の『鶯宿雑記』は、自序が文化12年(1815)の叢書です。巻14には、享和3年の八月二日と読める日付があり、「ウツロ舟図」と書き添えた丸い舟と、長い髪の女性の絵が載っています。[S02、I02]
鈴木甘井の『異聞雑著』は、上越市に残る榊原家の文書で、3月26日の昼に常陸国の原舎ノ浜へ異国の舟が漂着した、と書きます。漁船を多く出して引き揚げると、20歳ほどの美しい婦人が乗っていて、二尺四方の箱を抱えて放さなかったそうです。[S03] 天保15年(1844)とされる『梅の塵』や、屋代弘賢の『弘賢随筆』にも『うつろ舟の蛮女』と題した記事があります。[W01、W03]
ただし、日付は記録ごとに違います。『兎園小説』は2月22日、『梅の塵』は3月24日、『異聞雑著』は3月26日で、『鶯宿雑記』は8月2日です。舟の長さは、『兎園小説』が三間あまり、『異聞雑著』の図が横三間、『梅の塵』が横径一丈八尺で、三間と一丈八尺は同じ長さになります。違うのは日付と、舟の高さの数字です。[S01、S02、S03、W01]
うつろ舟の話は、常陸だけのものでもありません。橘南谿『東遊記』の補遺には、常陸の事件より20年ほど前の越後で、白木の箱型の舟に16、7歳の少女が乗って流れ着いた、という聞き書きがあります。『兎園小説』の古老も、昔にも同じような女がうつろ舟で流れ着いた、と語っています。[W02、S01]
一『兎園小説』(1825)
2月22日の昼ごろ。常陸国のはらやどり。舟は長さ三間あまり。
二『鶯宿雑記』(自序1815)
八月二日と読める。常陸国。「ウツロ舟図」と書き添えた丸い舟の絵がある。
三『異聞雑著』
3月26日の昼。常陸国の原舎ノ浜。舟の図に「横差し渡し三間」「縦二間」と書き込む。
4『梅の塵』(天保15年とされる)
3月24日。常陸国の原舎浜。舟の横径は一丈八尺で、三間と同じ長さ。
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04舟の形と文字は、どう見られた?
『兎園小説』の図では、舟は平たく丸みのある形で、上に格子の窓が三つ並び、下側には黒い縞と点が描かれています。図には「硝子障子」「外はチヤンにて塗りたり」「鉄をもて張りたり」「長さ三間餘」と書き込みがあります。[I01、S01]
『鶯宿雑記』の舟は、丸い胴の中ほどに、板のような縁が横へ張り出した形です。どちらの図も、円盤を連想させる丸い形をしていますです。[I02、S02]
舟の中には「蛮字」と呼ばれた文字が多く書かれていました。『兎園小説』は、近ごろ浦賀沖に停泊したイギリス船にも同じような文字があったと書き、女はイギリスか、ベンガルか、アメリカなどの王の娘だろうか、と考えています。ただし、すぐに「これも知るべからず」と添えています。[S01]
馬琴の頭書は、ロシアの見聞録にある女の服装と髪の粉の記述を引き、ロシアに従う国の婦人かもしれない、と推測します。江戸の語り手が手がかりにしたのは、外国の船や外国の女でした。現代には、この文字を浮世絵の周りの飾り枠である「蘭字枠」に似たものとみる説もありますが、写しの絵が元の文字をどこまで正確に写したのかは分かりません。[S01、W04]
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05本当にあった話なのか?
『異聞雑著』は、記事の末尾に「この事偽り」と聞いた、と書き、北村久備からも偽りだという知らせがあった、と記します。江戸時代のうちに、この話を疑った人がいたことになります。[S03]
柳田國男は、うつろ舟の伝説をすべて根拠のない作り話とみた、と田中嘉津夫は紹介しています。[W04] 常陸以外にも似た話があることは、先ほどの越後の記録からも明らかです。雑誌『国文学』は、1987年に臼田甚五郎の連載で、「うつろ舟の姫」を6回にわたって取り上げています。[W02、P01、P02、P03、P04、P05、P06]
一方で、実在の場所を指す文書もあります。『伴家文書』の漂着地は「常陸原舎り濱」です。伊能忠敬の地図(1801年)にある地名と同じで、今の神栖市波崎の舎利浜にあたるとされます。『兎園小説』など、ほかの文書は「小笠原越中守の知行所」などと書き、互いに食い違います。[W04]
また、『水戸文書』にある女の衣装は、神栖市の星福寺にまつられた蚕霊尊に似ています。田中は、寺が自分の宣伝に使った話かもしれない、と考えています。[W04] これらの記録から、実際に何が起きたのかを決めることはできません。
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06「UFO」は、どこから来たのか?
記録を並べると、浜に流れ着いた舟と、箱を抱えた女という筋が重なります。『兎園小説』は、言葉の通じない異国風の女と舟の蛮字を書き、役所に届けず沖へ押し流した人々も書きます。『異聞雑著』は「公儀へ御訴申上候」と書き、押し返しは書きません。この二つには、空を飛ぶ場面も、宇宙人という言葉もありません。[S01、S03]
円盤に似た絵が、1947年以後に関心を集めた「空飛ぶ円盤」の連想と結びつきました。田中嘉津夫は、アメリカのUFO話より前に、日本の文献にこの絵があることに関心を持ちました。[W04]
それでは、『兎園小説』の結びを原文で読んでみましょう。
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『兎園小説』第十一集 第11話「虚舟の蛮女」
作者:披講は琴嶺舎 滝沢興継(写本に署名はない)。編者は曲亭馬琴ら兎園会
原文(該当部分)
その舟のかたち、譬へば香盒のごとくにしてまろく長さ三間あまり、上は硝子障子にして、チヤンをもて塗りつめ、底は鐵の板がねを段々筋のごとくに張りたり。
當時好事のものゝ寫し傳へたるは、右の如し。圖説共に疎鹵にして具ならぬを憾とす。よくしれるものあらば、たづねまほしき事なりかし。
現代語訳
その舟の形は、香合にたとえられるほど丸く、長さは三間あまりあった。上部はガラスの障子で松脂を塗り固めてあり、底には鉄の板金を段々に、筋のように張ってあった。
当時の好事家が写し伝えたものは右のとおりである。図も説明も粗略で詳しくないのが残念だ。よく知っている者があれば、尋ねてみたいものである。
本文翻刻
ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。
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出典・訳について
『兎園小説』第十一集 第11話「虚舟の蛮女」
本文・目次へ戻る ↑表記・訳の注記
原文は昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持し、振り仮名を外している。「チヤン」には写本で「松脂」の振り仮名がある。二つの引用の間は省略した。現代語訳は雲亭の本文ライブラリにあるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。
「香盒のごとくにして」は、香を入れる小さな蓋つきの容器のように丸い、という意味です。「ひとりの婦人ぞゐたりける」の「ぞ…ける」は、見つけた驚きを強める言い方です。結びの「たづねまほしき事なりかし」は、「尋ねてみたいものだ」という意味で、書き手は舟と女性の正体を分からないまま書き終えました。
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出典と原典の画像
元の記録や研究を、自分の目で確かめられます。
ほかの一次資料
『鶯宿雑記』巻14「常陸国うつろ船流れよりし事」(ウェブ索引の項目名)
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原文(該当部分)
享和三年亥八月二日
ウツロ舟図
現代語訳
享和3年(亥)8月2日
うつろ舟の図
本文翻刻
ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。
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出典・訳について
- 作品名:『鶯宿雑記』巻14「常陸国うつろ船流れよりし事」(ウェブ索引の項目名)
- 著者・編者:駒井乗邨
- 巻・章・話番号:巻14
- 採用した版・底本:国立国会図書館蔵 写本(請求記号 238-1)。文化12年(1815)自序
- 翻刻提供元・URL:翻刻なし。画像から読んだ。https://dl.ndl.go.jp/pid/10301138
- 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:115コマ目の左頁に日付、116コマ目の右頁に図
- 引用・再利用条件:保護期間が満了し、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開。利用条件ページのURLは未確認
表記・訳の注記
一つ目は115コマ目左頁の本文の書き出しの日付で、続く地名や本文は判読に自信がないため引用していない。二つ目は116コマ目の図に添えた題。くずし字の判読はClaudeによるもので、専門家の校閲は受けていない。
『異聞雑著』「常陸国原舎ノ濱 異国舟漂着」の記事
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原文(該当部分)
当亥三月廿六日昼時常陸国原舎ノ濱と申所如図異国舟漂着致候
此事偽也といふ事 北村久備より申遣候
現代語訳
今年亥の3月26日の昼、常陸国の原舎ノ浜という所に、図のように異国の舟が漂着した。
この事は偽りだということを、北村久備が知らせてきた。
本文翻刻
ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。
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出典・訳について
表記・訳の注記
読み仮名は、翻刻PDFにあったものを除いている。二つの引用の間は省略しており、そこには「此事偽と聞たり」の一文もある。現代語訳は雲亭の本文ライブラリにあるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。
原典の画像を開く
画像 I01 『兎園小説』第十一集「虚舟の蛮女」の舟と婦人の彩色図
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昭和女子大学図書館 桜山文庫 / 写本14冊のうち第十一集 / 3166の35カット目
資料の書誌 | 該当箇所の画像
画像 I02 『鶯宿雑記』巻14(「ウツロ舟図」を含む)
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国立国会図書館 / 写本、請求記号 238-1 / 115コマ目と116コマ目
資料の書誌 | 該当箇所の画像
参考にした研究・関連文献
論文 P01 民俗文学の道しるべ39 うつろ舟の姫
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臼田甚五郎 / 国文学 / 32巻1号、1987年 / 未確認
関連文献(本文未確認)
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論文 P02 民俗文学の道しるべ40 うつろ舟の姫 続
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臼田甚五郎 / 国文学 / 32巻2号、1987年 / 未確認
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論文 P03 民俗文学の道しるべ41 うつろ舟の姫 3
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臼田甚五郎 / 国文学 / 32巻3号、1987年 / 未確認
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論文 P04 <翻>民俗文学の道しるべ42 うつろ舟の姫 4
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論文 P06 民俗文学の道しるべ44 うつろ舟の姫 6
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臼田甚五郎 / 国文学 / 32巻7号、1987年 / 未確認
関連文献(本文未確認)
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論文以外の参考資料
解釈と、まだ確かめられていないこと
『兎園小説』の記事は、好事家が写し伝えた話を書き留めた形で、書き手自身が「図説共に疎鹵にして具ならぬ」、つまり図も説明も粗略だと断っています。『鶯宿雑記』『異聞雑著』『梅の塵』は、日付や場所の書き方、舟の高さの数字が『兎園小説』と異なります。記録されたことと、実際に起きたことは別です。田中嘉津夫は岐阜大学名誉教授で、専門は光情報工学、うつろ舟伝説を研究している人ですが、舟が実際のUFOだったと断定しているわけではありません。
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